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町長室

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町長

  津別町のプロフィールを簡単にご紹介します。

  津別町は、明治16年、旧土人救済事務取扱所が活汲に設置されたのが本町の開基と
   されています。
  ●明治19年 北海道庁が設置される。
  ●明治20年 美幌外5カ村戸長役場が開設。
  ●大正 4年 近隣6村が合併し北海道2級町村制を施行し美幌村となる。
  ●大正 8年 美幌村から分村独立し津別村が誕生。
  ●大正14年 旧国鉄相生線が開通。
  ●昭和21年 町政施行により網走管内6番目の町となる。
  ●昭和57年 全国に先駆け「愛林のまち」を宣言する。
  ●平成22年 「第5次津別町総合計画」を策定、「町は舞台、町民が主役」を宣言
    しまちづくりに取り組む。

  津別町長  佐 藤 多 一 

町民憲章(昭和44年10月11日 制定)

  ●自然を愛し、美しい緑のまちをつくりましょう。
 
  ●元気で働き、豊かなまちをつくりましょう。

  ●きまりを守り、明るいまちをつくりましょう。

  ●お互いに助け合い、しあわせなまちをつくりましょう。

  ●文化を育て、平和なまちをつくりましょう。

町長日記  たてよこプラス

津別町の認知度(平成28年7月)

 津別町は首都圏の人に、一体どれくらい知られているのだろうか。実はそれを示す数字がある。
 オホーツク総合振興局(旧網走支庁)とオホーツク管内18の市町村で組織する「オホーツクAI推進協議会」という会議がある。AIとはエリア・アイデンティティのことで、地域全体の独自性をまとめた統一イメージを作る取り組みである。その事業の一つに、「オホーツク地域に係る認知度・魅力度等調査」がある。
 この調査は、20才以上を対象に関東圏(東京、埼玉、千葉、神奈川)に在住する500人と、関西・中部圏(大阪、京都、兵庫、奈良、和歌山、愛知)に在住する500人を無作為に抽出し、インターネットリサーチ会社のモニターがインターネット上で設問に解答する方法で行い、平成25年から毎年実施している。
 この3年間、管内18市町村の6位までの順位は全く変わらない。認知度1位は毎年80%近くを占める網走市が断トツで、以下紋別市、北見市、美幌町、斜里町、佐呂間町と続いている。津別町はといえば、11.0%9位、9.2%10位、11.1%8位と、遠軽町、湧別町、清里町との間で毎年順位を入れ替えている。
 調査項目に「知っているもの」という設問があり、各市町村の特徴を示すものを一つ掲載している。津別町は「津別峠の雲海」だが、平成27年調査でもまだ3.1%の認知度に過ぎない。知っているものを書く自由記載欄があっても良いのではと思う。「津別町といえば」の問いに「丸玉産業」の名前が挙がるような気がする。それは、津別町長ですと名刺を出すと、「ああ丸玉がある町」という言葉が時々返ってくるからだ。
 今年は、クマヤキを関東圏で売り出す機会に恵まれ、東京でも船橋市でも長蛇の列ができた。平成28年の調査結果にどれくらい反映されるのか楽しみにしている。

阿寒国立公園の名称変更(平成28年6月)

 阿寒国立公園は、昭和9年12月4日に指定を受け、平成26年度に80周年を迎えた。一般的にこの名称から想像する区域は阿寒だが、公園全体の面積90、481haのうち、屈斜路カルデラは59、966haで、全体の66%を占めている。このため、指定後まもなくして名称変更運動が始まり、今日に至っている。
 国のインバウンド政策により、近年外国人観光客が増加傾向にあるものの、阿寒湖、摩周湖、屈斜路湖が同一の公園内にあることの理解が薄いとされている。そうしたことから、公園名に摩周を加え、「阿寒摩周国立公園」とすべく要請活動が始まった。
 新たな公園名を「阿寒・摩周・屈斜路」とする案も出ていたが、総面積の84%を占める弟子屈町と釧路市が話し合い「阿寒摩周」でまとまり、周辺9町もこれに同意して国に要請することとした。
 こうして4月13日、津別町を含む1市6町が環境省に要請を行った。当日は、丸川珠代環境大臣に直接要請することになっていたが、急遽国会用務のため平口副大臣に対応していただいた。区域の変更や追加、名称変更などは5年に一度見直され、次回は平成30年になるが、要請市町の熱意により、一年前倒しできるよう努力したいとのコメントがあった。
 安部総理が自ら議長をつとめる「明日の日本を支える観光ビジョン構想会議」において、訪日外国人旅行者数を2020年に4000万人を目指すとした。これに関連し、豊かな自然が凝縮された国立公園を世界水準の「ナショナルパーク」に生まれ変わらせたいと述べたことから、今後国立公園の見直し計画が進められる。
 道東地区には、阿寒国立公園に隣接して知床国立公園と釧路湿原国立公園がある。釧路市長がこんな提案をした。「道東という曖昧な言葉は使わずに、これからは分かりやすく東北海道と言おう」と。

まちづくりアイデアコンペ(平成28年4月)

 地方創生事業の一つとして、「この町はしんどい」をキャッチフレーズに、まちづくりのアイデアを募集した。これに対し、フェィスブックに8万件、ホームページに1万件のアクセスがあった。1月末を締め切りに全国から77件の応募があり、うち道外から18件、町内を含む道内から59件のアイディアが寄せられた。この中から書類選考により12件を選び、3月5日に最終審査会を行った。
 およそ100名の観客が来場する中、1組10分のプレゼンテーションが行われた。発表されたアイデアの内容は、事前にホームページで公表しているので詳しい内容については省略したい。アイデアはどれも魅力的で、発表を聞きながら、この町のことを思い、力になろうとする気持ちがよく伝わってきた。だから、すぐにでも手がけられそうなものから順次実現していきたいと思う。
 遠く台湾からやって来た女性は、台湾の風景と同じ旧相生駅舎の活用について提案した。尼崎市で大手銀行に勤める行員は、林業男子を提案した。津別町に縁があり横浜に住む女性は郷土愛を前面に出して提案した。飛び抜けて元気の良い2人の北大大学院生は、アクティブラーニングによる中高一貫を提案した。観客の投票が最も多かった北星学園大学の学生たちは、津別町にゼミ合宿に来たいと語った。観光プランナーの資格を持つ自衛官は、21世紀の森周辺でのワクワク大作戦を提案した。津別中学校の教師は、クライミングウオールに強く拘った。そして、東北大学岩田司教授を含む7人の審査員は、約1時間の協議を終え各賞を決定した。
 その夜、ジンギスカンを囲み交流会が開かれた。すごい盛り上がりだった。「この町は、ぜーんぜん、しんどくないじゃん。津別は楽しい。これからも応援する」。そう語る彼らが、これからSNSで津別町を発信してくれる。

クマヤキ(平成28年3月)

 昨年10月22日、HBC北道放送制作部田中プロデューサーから突然の訪問を受けた。何事かと思いつつも期待半分で耳を傾けた。すると、道の駅あいおいで販売しているクマヤキを1月に開催される東武百貨店「食の大北海道展」に出品しないかというものだった。この物産展は、数ある北海道物産展の中で最も有名で、なかなかエントリーは難しい。思わぬ吉報に驚かされた。
 聞くと、北川景子、錦戸亮主演の映画「抱きしめたい~真実の物語」の撮影でオホーツクロケを行った時、たまたま立ち寄った道の駅あいおいでクマヤキを食べたとのこと。可愛らしいデザインと味にすっかり惚れ込み、隠れた逸品として強く印象に残り、東武百貨店のバイヤーに紹介したとのこと。しかも「食の大北海道展」の様子は、春にTBS系列で全国放送するという。願ってもないことである。
 さて、ここから解決しなければならない幾つかの問題が生じた。まずガスを使った調理器具の使用はデパート内ではNG。次に東京での大量販売にあんこの製造が間に合うか。そこで、ガスに換えて電気器具の製造を新たに注文し、あんこの製造には松戸船橋市長に相談して市内の会社を紹介していただいた。小豆は地元津別農協から無償提供を受けた。
 1月21日から26日まで出展し、クマヤキを買い求める長い列ができた。この様子を毎年ラグビー合宿に訪れるNTTの総務部長からメールで伝えられた。「他の店舗は数人待てば買える程度でしたが、クマヤキだけ長蛇の列で非常に繁盛していました。(略)許された時間では到底購入することが難しいと思い帰ってきました」。
 番組は5月22日に放送が予定されている。1月6日には厚切りジェイソンが番組制作のため津別町にやって来た。お見逃しなく。

成人式 Ⅱ(平成28年2月)

 平成22年の広報2月号に続き成人式について2度目の記載。当時と比較すると、全国数では127万人で過去最低だったものが、今回はさらにこれを更新し121万人となった。津別町でも41人が33人となり、人口減少はこの層においてもなかなか歯止めがかからないでいる。
 昨年10月、津別町は地方創生に関連して「人口ビジョン」を策定した。人口を増やすには、出生率を高めること、転出者を減らすこと、転入者を増やすことの三つが考えられるが、いずれもそう簡単なことではない。加えて、昨年末の65才以上の人口は、2,131人で全体の41.69%(高齢化率)を占め、今後もこの層からの減少は避けられない。
 津別町の合計特殊出生率は、昭和58年から昭和62年の1.74から減少し始め、平成15年から平成19年には1.35と大きく減少したが、平成20年から平成24年には1.51と若干回復した。昨年5月、「人口ビジョン」の策定にあたって、町内在住者と、町外からの通勤者を対象に「人口減少対策にかかるアンケート」を実施した。この中の「出産や子育て、結婚に関する設問」では、予定子ども数は約6割の人が2人、約2割の人が3人と回答した。そこで、この項目から平均予定子ども数を算出すると2.28となった。こうしたアンケート調査結果なども踏まえながら、平成42年の合計特殊出生率を2・1とし、国の目標年である平成72年を2.11とした。
 1月10日の成人式には、小さい頃から顔見知りの新成人が何人かいた。いつの間にかしっかりした若者に成長していた。祝辞で、いま津別町は、未来に希望と夢を描きながら様々な取り組みを進めていること、そして、すでに町外で働き、学んでいる新成人の皆さんにも、ぜひ力をつけ、いつの日かこの町に戻り、まちの力になって欲しいと呼びかけた。

ふるさと納税(平成28年1月)

 「上士幌町、ふるさと納税10億円突破」という記事が12月4日の北海道新聞に載った。「守りたい風景がある」「応援したい人たちがいる」をキャッチフレーズに、平成20年に総務省が制度を創設した。
 11月18日に東京で開催された全国町村長大会後、オホーツク管内の町村長で行政視察を行った。視察先の一つとして、平成26年度にふるさと納税額全国第2位となった福岡県玄海町を訪問した。この年の寄附総額は約10億7000万円で、平成21年の30万円に比べると信じられない額となった。寄附のハードルを下げるため5000円のお試しプランや、真逆に100万円の高額プランを設定し、返礼品のバリエーションも69品に増やしたところ寄附件数は5万件を超えた。件数が増えると同時にクレーム件数も増えるが、誠実な対応を取っている。課題は、特産品の品質向上と生産者の独り立ち、未参入生産者への機会提供、指定寄附のため特定事業への充当、高額寄附者の囲い込みとリピーターの形成などが挙げられた。
 津別町はと言えば、平成20年88万円、平成21年40万円、平成22年109万円、平成23年65万円、平成24年67万円、平成25年115万円、平成26年107万円で、おおよそ上士幌町や玄海町の足元にも及ばない。そこで、昨年6月に返礼品の数を大幅に増やしたところ、すでに2000万円を超えている。人気は、特別栽培のイモ・タマネギと㈱山上木工の椅子に集中している。件数は前者が圧倒的だが、額は椅子の方が上回っている。昨年は五郎丸氏の活躍などでラグビー人気が沸騰したが、津別町にもトップリーグ2チームと大学生2チームが合宿に来ている。そこで、11月から寄附の目的に「スポーツ環境の整備」(合宿環境整備)を加え、トレーニング機材などの充実を目指し、まずはNTTコミュニケーションズの社員の方々に協力を要請した。

11月6、7、8日(平成27年12月)

 11月6日、船橋・津別青少年交流協会10周年を記念して、船橋市アンデルセン公園の一角に市長と協会の方々と共にモミの木を植樹した。気温22度の暑い日だった。ふなっしーが来たつべつ夏まつりの前日、市長にお越しいただき、こちらで植樹した際も35度の暑い日だった。お互いの木がすくすく成長し、今後とも交流の輪が広がっていくことを期待したい。
 11月7日、船橋市内を中心に障がい者福祉施設を運営する「㈱ふくしねっと工房」の友野剛行代表取締役と、多機能型事業所「ワーカーズぐらす」の北口尚子施設長のご案内で、11ヶ所の関連施設を見学させていただいた。就労移行支援事業、日中一時支援事業、放課後等デイサービス事業、移動支援事業、居宅介護支援事業、障がい者グループホームなど様々な事業を展開し、いずれの施設も独自に建設するのではなく、アパート、一軒家、空き店舗などを賃貸で利用している。
 友野さんには、地方創生の取り組みの一環として10月に津別町にお出でいただいた。これまでの船橋市との長い交流を生かし、障がい者関連の事業を進めるためお招きした。福祉関係職員や手をつなぐ育成会と話し合い、津別の状況をつかんで帰られた。間もなく町の空き家などを活用した事業計画が提案されることになっている。課題解決に向け少し動き始めた。11月8日、筑波大学で「高大連携シンポジウム」が開催された。ラクビー合宿を縁に、今年4月から筑波大学との「まちなか再生事業」が始まった。その事業の一つに高大連携事業があり、この夏、津別高校生と筑波大学生とのまちづくり研究が行われた。その成果をシンポジウムに参加し、東北・北関東圏の高校生たちと共に発表した。元気よく堂々として素晴らしい発表だった。こうした機会を与えていただいた筑波大学に深く感謝。

市民後見人(平成27年11月)

 9月14日、2回目となる津別町市民後見人養成研修の終了式が行われた。8月8日から9月14日の間、計31時間10分の研修を終えた13名の受講者に修了証書を手渡した。市民後見概論、成年後見制度の実務、対人援助の基礎、任意後見の事例と課題、地域演習など多くの科目を精力的に学ばれた皆さんに心から敬意を表します。
 終了式では、受講者の皆さんが一人ひとり前に出てスピーチが行われた。「研修を終えてほっとしている」「人間の尊厳について学んだ」「困った人の生活の力になりたい」「改めて考えさせられることが多かった」「福祉だけでできるものではないと感じた」「他に先駆けてこのような取り組みをすることを誇らしく思う」「夫婦で資格を取った。2人でがんばる」「グループワークが良かった」「土日の5時間授業は大変だった」「答えは何通りもあると思った。楽しかった」「途中で後悔したが新たなことを知り楽しかった」「ほっとした笑顔が見られるようにもっと勉強したい」などと感想を述べ、受講生の顔には充足感が満ち溢れていた。
 こうした市民後見人を養成する事業は、平成24年度に北海道の補助事業を活用して初めて取り組み、10名の市民後見人が誕生した。その後、平成26年秋に、認知症高齢者や知的障者など、十分な判断能力を持たない人の権利を守るため、津別町あんしんサポートセンター「ほっと」が社会福祉協議会内に開設された。そして現在、第1回目の受講者のうち、複数後見として2名の方が共同で、もう一人の方は法人後見支援員としてそれぞれ活動を行っている。今回の受講者の方々もこうした活動に加わり、より厚みのある組織になっていくことを期待したい。
 「ほっと」は今、ひきこもりや貧困などの相談にも対応し、多忙な活動を展開している。町民が頼れる場として、今後とも頑張って欲しい。

ふるさと創生と地方創生(平成27年10月)

 昭和63年から平成元年にかけ、国のふるさと創生事業(正式名称は自ら考え自ら行う地域づくり事業)により、各市町村に一律1億円が交付された。この交付金は地方交付税に組み込まれ、使い道について国は関与しないとした。そもそも地方交付税法では「国は、地方自治の本旨を尊重し、条件をつけ、又はその使途を制限してはならない」としていることから当然と言えば当然である。津別町はこの1億円を何に使ったのか、と言えば愛林の町を意識した植樹(街路樹)に多くを使ったと記憶している。
 当時その交付金の一部を活用し、社会人大学「津別町まちおこし大学」を開設させていただきたいと小南町長にお願いした。紆余曲折はあったが平成2年10月、長崎の大学から福祉と建築を専門とする日比野先生を学長に迎え、23名の学生で開校した。目的は発想力を高める右脳開発だった。たとえば「津別町を10倍楽しくする方法」をテーマにブレインストーミングを行い、それをKJ法でまとめポスターにして発表し、その内容は必ず文章にするというものである。カメラウォッチング、議場を利用したロールプレイ、喜怒哀楽・愛をテーマにしたカルタコピー作り、積立てして出かけた九州移動まちおこし大学(修学旅行)など様々なカリキュラムをこなし、卒業には400字詰め原稿用紙100枚の卒業論文が待っていた。
 あれから25年。いま地方創生事業と連動し、町内の若手が筑波大学と「まちなか再生事業」に取り組んでいる。ワークショップでは、やはりKJ法が用いられているが、カメラウォッチングはスライドフィルムからデジタル写真に変わり、時の流れを感じさせる。
 まちおこし大学の卒業生から、その後4名の町議会議員が誕生したが、筑波大学との取組みを通して、再びそのような人が出現することも期待したい。

津別人の活躍(Ⅱ)(平成27年9月)

 7月21日、北海道科学大学(旧北海道工業大学)大学院に在学中の山田竜平くんが、父親の山田耕司さんと嬉しいニュースを届けに町長室にやって来た。
 去る6月27日、東京で開催された日本建築家協会全国学生卒業設計コンクールにおいて金賞を受賞したのである。全国18の支部コンクールの中から優秀作品に選抜された52点が、著名な建築家らによって審査され見事日本一に輝いた。しかも、北海道の学生がこの賞を受賞するのは初めての快挙であり、お父さんは嬉しくて、嬉しくてたまらない顔をしていた。
 作品名は「杜の医」と題し、道内で唯一稼動している津別町の森林セラピー基地をフィールドに、森林療法が発展する拠点的森林空間を提案したものである。森林セラピーとは科学的証拠に裏づけされた森林浴効果をいう。基地を運営する地元のNPО法人「森のこだま」や旭川医大などに、一年をかけ細かな取材を続けて完成した作品であり、4枚のパネルで説明を受けたが、その緻密さに驚かされた。基地内の植物を色分けして図面に落とし、建物の角が木と木の間の中心にくるよう設計された建築群は、木の位置によって全て形を違えながら連なっている。
 森の中では、植物の幹や葉からフィトンチッドと呼ばれる成分が放出されている。これを森林浴で体内に吸収することで免疫力を高めたり、ストレスを減少させる効果がある。フィトンチッドは空気より重いため、その性質を利用し個室空間でじっくり、ゆっくり体に浴びる仕掛けが考えられている。
 竜平くんは「津別町の新たな発展的な未来を願い設計を行いました」と言っている。少年の頃から、お父さんも会員である「自然の会」の大人たちとの交わりが、発想の原点になったのかもしれない。
 さて、どうすれば実現できるのか、新しいテーマが与えられた。

ありがとう「ふなっしー」(平成27年8月)

 ふなっしーのツイッターにこう書かれていた。「暑くて大変だったけど道東でイベント最初だったからやれてよかったなっしー♪津別町の皆様ありがとうございましたなっしー♪」。
 遡ると昭和50年代から交流を続けてきた千葉県船橋市。7月12日、ご来場いただいた松戸船橋市長さんと船橋津別青少年交流協会の皆さんの大変なご尽力で、「ふなっしー」が気温35度のつべつ夏まつりにやって来た。混乱を避けるために設置した二つの会場に6500人の観客が集まった。実はこの他に、4月にオープンしたばかりのこども園で、園児たちのためにもう1ステージが用意された。
 ふなっしーの応援サイト「ふなっしーファンクラブ」を見ると、多くの画像や動画やつぶやきが配信されている。「津別町のスタッフの皆さんは暑い中笑顔でがんばっている」「ふなっしーの中身はなあに?の答えに果汁と果肉と君たちの夢。素敵じゃんかなっしー」「猛暑の中一番辛い筈なのに、みんなを気遣うふなっしーの梨柄にまたまた感動。この15分のために往復10時間の運転に悔い無し」。こうしたツィートを読んでいると何だか気持ちがほっこりしてくる。
 船橋市から参加された交流協会の女性が、張られたロープを乗り越えることもなく、整然とルールを守る津別町の皆さんのマナーの良さに驚いたと言っていた。翌日、津別、美幌、北見の各警察にお礼に伺った際にこの話をすると、「確かに、オホーツクの人たちはよく決まりを守ると感じる」と話されていた。予想できない来場者数への対応に困惑しながらも、猛暑のなか顔を真っ赤にして働いた全てのスタッフの皆さんに感謝を申し上げます。そして、人柄(梨柄)が凄くいいよと事前に聞いていた通りのふなっしーに、まさしく暑い中ありがとう。

キックオフ(平成27年7月号)

 6月12日、筑波大学と津別町による「まちなか再生事業」がキックオフされた。次代を担う町民20名でつくる「津別町まちなか再生協議会」の皆さんは、すでに4月と5月に筑波大学の先生による講義を受けており、この日は町民向けのシンポジュームが開催された。
 鹿島アントラーズ代表取締役社長 井畑滋氏の基調講演の後、東京国際映画祭パートナーシップ・グループマネージャー小西弘樹氏、北海道開発局建設部道路計画課長和泉晶裕氏の講演を多くの出席者が熱心に聴き入った。
 そして次に、協議会のメンバーと筑波大学学生隊が、前日、4班に分かれて行ったワークショップの発表会が行われた。4人の発表者のうち2人はUターン者で、もう2人はJに近いIターン者である。なかなかいい発表だった。現状の津別を認識し、楽しみながら更に未来に向かって歩みを進めようとする意志が感じられた。昨年2月、津別町民がAKB48の「恋するフォーチュンクッキー」で踊る様子をユーチューブから配信した。この曲に「未来はそんな悪くないよ」という歌詞があり、老若男女が陽気に踊る様子を見て、強くそう感じたが、今回の発表を聞いてまたそう思った。
 人口が減少する中、「身の丈にあった町づくり」という言葉をよく耳にするようになった。人口が減ったら減ったなりの町づくり。それでは津別町の身の丈とはどれくらいなのだろうか。コンピューター社会となって「最適化」という言葉もよく聞かれるようになった。それを見つける筑波大学との共同研究がキックオフされた。
 小西弘樹氏が講演の中でこのように言われた。「一に筋(作り方)、二に抜け(見え方)、三に役者(演じ方)」。外から役者を呼ぶのは最後の最後でいい。みんなでストーリー(筋)を作ることが大事。そしてこれこそが最高の娯楽だと。

子育て支援(平成27年6月)

 キタキツネは、毎年3月から4月にかけて5、6匹の子どもを産む。親は大切に子どもを育てるが、8月15日ころ、突然親ギツネは子ギツネが巣に入ることを牙をむいて拒否するという。子どもの自立を求める少し悲しい物語が、北海道で繰り返されている。
 今から25年後の2040年に想定される日本の人口構造は、現在の津別町の人口構造にそっくりだという。年少人口、生産年齢人口、老年人口など、すべてが驚くほど酷似しているそうだ。社会を持続させていくには、子どもの出生数が大きく影響する。しかし、出生にはそれなりの環境と長い時間を必要とする。私たちがなすべきことは、その環境づくりを着実に進めていくことである。
 今年3月の議会で、「子育て支援のまち宣言」をすべきとの質問があった。子育て支援センターを併設した「こども園」が4月に開園のため、一段落して検討させていただく旨の答弁を行った。そして、佐賀県みやき町の「宣言」を朗読させていただいた。「まもなく、わたしたちは、たくさんのお年寄りと、少ないこどもたちで構成する人類史上どこも経験したことのない社会を迎えようとしています」から始まるこの宣言は、地域の暮らしや安心を守り抜く大人たちを、今の大人たちがしっかり育てていく覚悟が必要だとしている。
 では、具体的に大人たちが関わる子育てとはどのようなものなのか?そのヒントは「さっぽろ市民子育て支援宣言」が参考になる。それは市民一人ひとりが、自分にできることを宣言する方式で、「困っている親子に声をかける」「子供が泣いていても嫌な顔をしない」「子どもや妊婦の近くでタバコを吸わない」など20項目の中からできる事を選択し宣言する。
 親ギツネの行動は、子どもの成長を促す愛情表現の一つだが、私たちもこの町の子どもたちに優しい眼差しを向け続けていきたい。

7億円の扇子(平成27年5月)

今年の本屋大賞は、上橋菜穂子の『鹿の王』に決定した。この賞の正式名は「全国書店員が選んだいちばん!売りたい本2015年本屋大賞」という。出版不況の中、2004年に書店員の声を拾い上げるために組織した実行委員会が運営する文学賞である。大賞は、一次投票でノミネートされた10作品をすべて読んでから、推薦理由をつけて投票し決定される。この10作品の中から、川村元気の『億男』を読んでみた。
弟の借金返済を巡って妻と娘と別居。昼は図書館司書として、夜はパン工場の作業員として、養育費と借金返済のために働く主人公一男。娘の9歳の誕生日に2人で食事をした帰り、福引会場で老婦人から「あげる」と言われ福引券をもらう。そして4等10枚の宝くじが当たる。その一枚が3億円の当たりクジとなる。ここから様々な人間と出会う「お金と幸せの答え」を探す一男の旅が始まる。
主人公の大学時代の友人で、事業に成功した親友がこう言う。「お金があれば何でも解決してしまうということを知ってしまった僕は今、生きていくことに白けてしまっているんだ」と。また、金持ちになるためのセミナーの場面では、お金が無限にあったら何をしたいか、具体的に書くよう求められる。しかし、「借金返済、家族の平穏、海外旅行、健康長寿」といった漠然としたものしか浮かんでこない。そんなものなのかも知れない。お金はぼんやりとした夢には近づいてこないという。「人生に必要なもの。それは勇気と想像力と、ほんの少しのお金さ」とチャップリンの言葉が度々登場する。
昨年、要請活動で上京した際に、7億円の扇子を買った。扇子を開くと一億円札7枚が半円になって広がる。それは永田町の衆議院議員会館の地下売店で、350円で売っている。なぜこのようなものを売っているのだろうか。そして、なぜ買ったのだろうか?

招き猫伝説(平成27年4月)

 3月1日、沖縄キャンプでの大きな成果をもって、栗山ファイターズが札幌に帰ってきた。
 これを受けて翌2日、今年の応援大使となった選手と、18の市町村長による決起集会が札幌パークホテルで開催された。双方が向かい合って一列に並び、最初に津田球団社長が挨拶。続いてケガから復帰した大野選手会長から、今シーズンへの決意が述べられた。次に市町村長を代表し、大野選手が応援大使となった新篠津村の東出村長が激励の挨拶を行った。その後10分程度、それぞれ応援大使と市町村長ごとの懇談タイムが用意された。
 中田選手と大嶋選手の間に立つと、改めてその頑丈な体つきに驚かされた。感激しすぎて、まとまりなくあれこれと話をしているうちに時間になった。この後、約800人の球団招待者に混じって激励会に出席した。来賓の高橋知事が挨拶の中で「招き猫伝説」について触れた。上田札幌市長は「今年も優勝パレードの道を空けておきます」と激励した。そして乾杯を前に、日ハム応援会会長の北海道新聞社村田社長から「招き猫伝説」が詳しく話された。
 「招き猫伝説」…それは1月の新聞各紙でも取り上げられた。劇団四季の代表作「キャッツ」が公演された都市に本拠地を置く球団は、その年優勝するというものである。昭和58年の初公演から数えて14度のリーグ優勝と6度の日本一という実績がある。最近では、平成25年に仙台公演のあった楽天、平成26年に福岡公演のあったソフトバンクが、それぞれ日本一に輝いている。今年の1月から札幌公演が始まった。思い起こすとサッカー・コンサドーレ札幌が、J2からJ1に昇格した年、やはり「キャッツ」札幌公演が行われた。今年は北海道日本ハムファイターズが優勝するのか。「キャッツ」には何か秘められた力があるようだ。

沖縄キャンプリポート(平成27年3月)

 2月7日、沖縄県名護市でキャンプ中の北海道日本ハムファイターズを陣中見舞した。前日の夕方那覇空港に到着し、レンタカーで宿泊先まで約1時間半。ホテル到着時には少し薄暗くなっていた。
 朝8時30分に球場集合。見田広報部長が出迎えてくれた。9時過ぎに球場入口で、多くの報道陣と旅行者に囲まれセレモニーが開始された。応援大使の中田翔選手と大嶋匠選手に、つべつ和牛20キロとオーガニック牛乳60本の写真パネルを手渡した。中田選手から「これからいろんな形で津別町をPRしていきたい。シーズンオフに訪問するのを楽しみにしています」とお礼が述べられた。
 球場内の応接室に向かうと、津田敏一球団社長とバッタリ。気さくに声をかけられ、しばらく立ち話をした後、一緒にパネルを持って記念写真を撮った。この日の練習スケジュール表をいただき、観客席へと向かう。外野の芝生でウォーミングアップが始まっていた。センターが118m、両翼97m。津別の球場より少し広い。バックスクリーンはSBOのままだった。
 守備練習が始まった。白井コーチと杉谷選手の掛け合いが観客席の笑いを誘っていた。ブルペンに移動しピッチングを見学。吉川選手と武田久選手が投げていた。その後、B―1グランプリに出場したという焼きそばを買い、観客席に戻る。お馴染みの選手たちが順次ゲージに入りフリーバッティングが始まった。途中、大谷選手が登板した。雲の合間から太陽が覗くと、ジリジリと熱かった。午後3時少し前に栗山監督の定例記者会見を聞いて球場を離れた。
 夜7時に37年間続く「ファンの集い」に出席した。昭和36年に初めて日ハムのキャンプ地となって以来、毎年観光協会が主催して行っているもので、斉藤選手が入団したときはすごい混雑だったという。この「集い」で、基地問題で奮闘する稲嶺市長と名刺交換した。

嵐の中のチョットいい話(平成27年2月)

 12月17日未明、日本海側と太平洋側をそれぞれ北へ進む二つの低気圧のうち一つが、猛烈に発達してオホーツク管内を襲った。
 一昨年3月、道東を襲った爆弾低気圧が、死者を含む大きな被害をもたらしたことから、各自治体は改めて低気圧に対する強い警戒心を持つようになった。このため、昨年、オホーツク町村会と北網地区市町長会は、網走地方気象台台長を講師に「天気図の見方」を学んだ。また、道が主催する首長のための「防災・危機管理セミナー」が開催され、災害に対する心構えを学んだ。そして、これらの勉強会を通して何度も見せられた等圧線の込み入った天気図は、非常に危険なものと認識を深めていった。
 嵐の前日、12月16日は晴れていた。しかし、天気図を見る限り北海道へ向かう二つの低気圧は、教わったとおり危険な様相を示していた。管理職を集め、この日の内から対策を講じることにした。まず、広報車をまわし、外出を控えることと、停電に備える準備をするよう町民に警戒を促した。
 翌早朝から、予想どおり激しい暴風雪が襲ってきた。この日の午前中に災害対策本部を立ち上げ、さんさん館と町民会館を緊急避難所に指定するとともに、透析患者などへの対応と、障がい者や同居家族のいない要介護者宅を訪問して安否確認を行った。
 美幌駐屯地から3名の自衛隊員が派遣され、我々と共に18日夕刻の災害対策本部解散まで、泊り込みで対応していただいた。まちなかの国道240号で、走行が困難になった大型トレーラーを救出。さんさん館駐車場へ誘導し、運転手を「みぃとイン」へ送った。
 後日、大変親切にしていただいたと、会社の所長と課長が菓子折りを持って役場にやってきた。自衛隊からは、仮眠室まで用意していただいたと対応に感謝された。改善すべきことも見つかったが、充足感も残った嵐の三日間だった。

中田選手が応援大使に(平成27年1月)

 2004年1月1日、プロ野球球団日本ハムファイターズが、チーム名を「北海道日本ハムファイターズ」と改称し、北海道にやってきた。10年目となる2013年に、今後10年間で選手たちが道内すべての市町村の町おこしを応援する「北海道179市町村応援大使」プロジェクトを発足させた。
 2014年11月22日、札幌ドームで開催されたファンフェスティバルで、2015年1月1日から12月31日までの1年間、応援大使を務める選手と市町村を組み合わせるくじ引きが行われた。津別町のくじを何と、全日本の4番バッターでもある中田翔選手、そして早稲田大学ソフトボール部から入団した大嶋匠選手が引き当てた。
 12月2日、3期目当選のご挨拶に、北海道開発局や道庁などへの訪問にあわせ、札幌ドームの敷地内にある球団事務所を訪問した。事業統括本部コミュニティリレイション部の山口部長さんに「SINJO」という部屋に通された。
 まずはお礼を述べ、初めてのことなのでいろいろ聞いてみた。具体的には近く球団職員が役場に説明に伺うということだったが、その際に、中田選手と大嶋選手の等身大のパネル一体とポスター100枚、そして1年間使用できる球団のロゴマークと2選手の写真データを持参するとのことだった。
 中田選手は2013年に網走市、2014年に鹿追町の応援大使を務めている。毎年2月1日から始まる沖縄名護キャンプに、各市町村は特産品を持って陣中見舞いに出かけている。津別町もまずはこれにならい、今後、札幌ドームへの観戦ツアーなど様々な取り組みを計画したい。特に子供たちに大きな夢を与えられたらと思う。
 中田選手と大嶋選手が応援大使になったことで、町のホームページのアクセス数と訪問者が増え、津別町が「そこどこ?」から「ああ、あそこね」となるよう期待したい。

ロマンチストであれ(平成26年12月)

 10月12日、「世界の三浦」(三浦雄一郎氏)ご夫婦が、ランプの宿森つべつに宿泊された。この日は82才の誕生日だった。
 三浦雄一郎さんは青森市に生まれ、小学2年生のときにスキーを始めた。その後、北海道大学獣医学部に進学し、後に学長秘書でアルペンスキー選手だった朋子夫人と結婚された。
 プロスキーヤーとしての三浦さんの活躍は本当に凄い。1964年のスピードスキー世界大会で時速172キロを越える世界記録をマークした。2年後の1966年には富士山直滑降に成功し、1970年にはエベレスト滑降を成功させている。そしてその後、70才、75才、80才と3度エベレスト登頂に成功している。今度はヒマラヤを滑降されるそうだ。
 ランプの宿に宿泊されることは、指定管理者のアンビックス社から事前に連絡が入っていた。その日の夜、亡くなった職員の通夜に参列して宿へと向かった。
 ホテルのレストランで食事をしていた三浦さんに、用意してきた誕生日プレゼントを手渡した。シャンペンで乾杯し、エベレスト登頂のこと、津別町にも大きなスキー場があったことなどを話題にしていると、朋子夫人から「町長は、いま何期目ですか」と質問された。「二期目です」と答えると「政治家はロマンチストでなければいけません。うちの主人のようにね」と微笑まれた。横で穏やかな顔をして頷いている三浦さんが印象的だった。
 夫人のロマンチストという言葉に、忘れかけていたものを思い出したような気がした。社会の現実や自身のことなど様々なことを承知したうえで、目標をもって進む人のことをロマンチストという。決して単なる夢見人のことをいうのではない。この日は、長く勤めた職員を失った空しさと、自分の生き方を考えさせられる一日だった。

ジェントルマン(平成26年11月)

 10月5日、台風18号が本州に接近する中、第13回つべつ紅葉マラソン大会は、日差しがジリジリする快晴のもと行われた。
 開会式の後、参加者は用意されたバスに乗り、それぞれのスタート地点へと向かった。それから暫くして、お目当ての招待ランナー、エリック・ワイナイナさんが到着した。前日TBSの番組に出演していたため、羽田発の早朝便でやってきた。
 日本語が本当にうまい。イントネーションはまるで日本人のようだった。1973年、ケニアに生まれ、地元の高校を卒業後、1993年に日本のコニカ陸上部に所属。2000年のシドニーオリンピックで銀メダルを獲得している。現在は、日本各地のマラソン大会にゲストランナーとして出場し、2010年のサロマ湖100㎞ウルトラマラソンで優勝している。
 「毎日、どれくらい走っているのですか」と聞くと、「50㎞から70㎞です」と言う。少なくとも毎日、津別から網走まで走っていることになる。次々の質問に対して丁寧な受け答えをされ、精悍な顔つきから白い歯がのぞいた。落ち着いた紳士だなぁと感じた。
 今回、彼が走ったコースは5㎞で、出場者の約3分の1にあたる130人ほどが走った。一度ゴールしてから少し戻り、同じく5㎞コースの大会最年長ランナー、藤原熊男さん90才と一緒にゴールしようとしたが、残念ながら藤原さんは、残すところあと1㎞ほどの地点で転倒し途中棄権してしまった。そのことをワイナイナさんに告げるとケガの様子をしきりに心配していた。大会が終了し、子供たちと小学校グランドを一周するイベントが始まった。子供たちはキャーキャー叫びながらワイナイナさんと走った。手をつなぎ、たくさんの子供たちに囲まれながらゴール。そんな光景が、一度のはずが三度繰り返された。

筑波大学との連携(平成26年10月)

 昭和63年に、都道府県と政令指定都市が出捐し、地方自治の充実強化のため地域総合整備財団(通称ふるさと財団)が設立された。この財団の事業の一つに「まちなか再生支援事業」がある。活力と魅力ある地域づくりを目的に、まちなかの再生に取り組もうとする市町村に、実践的なノウハウを持つ外部人材の活用、または、大学と連携して対応策を講じる費用を助成する事業である。
 筑波大学と津別町の付き合いは、平成10年のラグビー合宿に始まる。今年も8月12日から25日にかけ、延べ1232人が滞在し、全国大学選手権制覇に向けて力を蓄えていった。この期間中に、ラグビー部部長の中川昭教授とお会いし、お願いごとをした。町の人口減少が続く中、まちなかを再生するため、筑波大学の専門的アドバイスを受けたいという要請である。先生は、うってつけの先生がいると話された。
 9月に入って中川先生から一人の先生が紹介された。筑波大学大学院システム情報工学研究科社会工学専攻の大澤義明教授である。大澤先生は、コンパクトシティも研究分野としておられ、津別町の取り組みに協力できる旨の連絡があった。近く共に研究を進める学生の代表と来町することになった。まずは、町の様子を視察し、これまでの取り組みや課題をヒヤリングすることから始まる。
 まちづくりは終わりのない行為である。その中で、今を生きる人々は少し先のこと、比較的長い先のことを考えながら歩んでいかなくてはならない。未来を担う人たちが、大学院生とディスカッションしながら町の未来を想像し、そして創造することを期待したい。
 具体的に何をどう進めるかは、今後、大澤先生と打ち合わせ、ふるさと財団の来年度事業に応募することにしたい。仮に、この助成から外れることがあっても、進めるべきものと思う。

<記事の訂正について>広報つべつ10月号「たてよこプラス」の中で、2行目の「出損」は、正しくは「出捐」です。訂正してお詫びいたします。

国営農地再編整備事業(平成26年9月)

 平成22年2月、町、農協、農業委員会、農業改良普及センターで構成する「国営農地再編整備事業促進期成会」を設立した。その目的は、10年後(平成31年)には高齢化や担い手不足が進み、約5400haの農地の内、このままでは2000haが整備されない土地になるとの危機感から、計画的に生産基盤を整備し、津別町の基幹産業である農業の振興を図ることとした。
 期成会設立の2年前から聞き取りにより地域の状況、農家の要望、全体の整備方向を調査しており、平成22年から3年間で事業内容や土地利用計画を策定し、事業実施を平成25年から32年の8年間と想定していた。この事業に対する補助は、国が75%、北海道が18%で、残り7%を地元(農業者と町)が負担する。
 当時、道内でこの事業を実施している地区は6か所で、調査地区も同じく6か所、そして新規調査地区としてニセコ町と津別町が手を挙げていた。事は順調に進むかと思われていたが、平成22年度の国の予算において、農業基盤整備事業予算が前年度の半分になってしまった。予定が狂い始めた。
 津別町はこの14の地区で構成する「北海道国営農地再編整備事業推進連絡協議会(会長は中富良野町長)」の一員として、毎年、各省庁が財務省に提出する概算要求時に合わせて要請活動を行ってきた。今年の7月には町、議会、農協、農業者の代表で国土交通省と農林水産省に初めて単独要請を行った平成25年から事業実施の予定が、予算の関係上、待機児童状態に置かれていたことから、町独自の要請活動を組み入れた。農林水産副大臣は、来年度の予算に津別地区を入れる予定と発言。思わず「おおぉぉー」と心で叫んだ。
 現時点での事業面積は約2400ha、事業費約130億円、事業期間は平成27年から36年。一大農業振興事業が動き始める。

アフリカに向かった2人の女性(平成26年8月)

 6月25日、津別中学校の英語教師、渡辺美希先生とJICA(国際協力機構)のスタッフの表敬訪問を受けた。先生は、海外協力隊員としてアフリカのザンビア共和国に向かうという。首都から440キロ離れた学校で2年間、英語と数学を教えるそうだが、一つひとつの受け答えが実にしっかりしている人だと感心させられた。
 青年海外協力隊に応募した動機を聞くと「小さいころから母親に、アフリカでは満足に食べられない子供たちがたくさんいる」といつも言われていたことが、ずっと頭に残っていたからという。今回の決定に「夢がかなって良かったね」と喜んでくれたが、お父さんは心配そうにしていましたと笑った。
 7月7日の七夕の日に、ザンビアに向かうということだったので、現地の子供たちにぜひ津別のことを伝えてもらおうと、町勢要覧とロマンス製菓の飴を持たせた。いろんな味を楽しんでもらうため種類を多くした。津別町で作られた飴が、子供たちの口に入った瞬間、大きな目がまた一段と大きくなる様子が目に浮かんだ。
もう一人、今年の4月から新規採用職員として、中央公民館に勤務している安宅あかね主任が、平成18年にザンビアの隣国、マラウイ共和国に青年海外協力隊員として働いた経験を持っている。小学校の教師を目指す現地の大学生に体育を教え、年間800人ほどを指導した。何が大変だったかと聞くと、時間にルーズなことで、集合時間に2時間遅れて来るなど、カルチャーショックを受けたという。食事の方はと聞くと、シマがおいしかったそうだ。シマとはトウモロコシの粉をペースト状にした食べ物で、マッシュポテトに似ているらしい。渡辺先生も美味しいと聞いていると話していた。
 志の高いこの2人の女性。すごいと思う。

つべつセレクション(平成26年7月)

 昨年11月、東京NHKホールで開催された全国町村長大会に出席した折、7月に船橋市長に当選された松戸徹市長を表敬訪問した。副市長時代にも何度かお会いしているが、大変気さくな人である。
 その市長から帰り際にお土産を渡された。船橋の産品を使ったブランド商品をきれいにラッピングした詰合せだった。ピーンときた。これだ!と。津別も、それぞれの店がそれぞれの商品を売る以外に、それらを組み合わせて売る方法もあると。それをコーディネートするのは、さんさん館がふさわしいと思った。早速職員が反応してくれた。いま、幾つかの組合せが作られ販売されている。
 さて、「ふなばしセレクション」は、平成23年から地元産品を使ったブランド掘り起し事業として始まったもので、そのきっかけは、市職員の政策研修会で若手職員の提案に端を発している。準備段階では、副市長時代の松戸市長が最高責任者として関わってきた。現在、「ふなばし産品ブランド協議会」が、応募資格、認証基準、認証期間、認証商品の特典、認証商品製造販売者の責務を公表して取組みを進めている。頂いた詰合せには、船福の極上船橋三番瀬のり、与金丸の御菜浦生のりつくだ煮、御菓子司扇屋の船橋ばか面おどり、JAちば東葛農産物直売所ふなっこ畑の小松菜パウダーなどが入っていた。この他にも街のピザ屋コンパーレコマーレのピッツアや菓子工房アントレの高木チーズなど11品が認証されている。
 津別町にも、オーガニック牛乳、アロニアドリンク、有機ビーフカレー、有機ミートソース、篠原菓子店や羽前屋のお菓子など食べ物の他、まる太くんグッツや木製品などもある。これらを購入者の希望に合わせ、組み合わせて販売することもできると思う。お中元の時期がやってきた。津別町のパンフレットを添えて送ってみてはいかがでしょうか。

津別町の財務状況(平成26年6月)

去る4月22日、町の財務状況について北海道財務局北見出張所長の診断を受けた。昨年、まず担当職員に対して、平成24年度の「財政状況」と平成22年度から平成26年度までの「津別町中期財政計画」の聞き取り調査が行われ、その結果が所長から説明された。これまでは、注意を要する自治体のみ訪問していたが、今回から5年程度をサイクルとして、管内の市町村すべてを訪問することにしたとのこと。町としては、財務省の手法により客観的な分析が得られ大変参考になった。
 その診断とは、財政融資の償還の確実性を確認するため、償還能力と資金繰りの状況を見るもので、実質債務月収倍率(家計に例えると、ローンは給与の何倍か)、行政経常収支比率(ローンの返済に回せるお金はどれくらいか)、債務償還可能年数(ローンの返済に何年かかるか)を分析したものである。診断結果を要約すると、「債務償還能力及び資金繰り状況のいずれも数字上問題はなく、留意すべき状況にはないと考えられる」というものだった。
 過疎町村にとって重要な財源である地方交付税は、国の三位一体改革により、津別町においても平成13年度から徐々に減額され、平成19年度までに6億円程減少した。こうしたことを背景に合併議論も行われてきたが、町は自立の道を選択し今日に至っている。
 この間、地方交付税は未だ平成12年度のレベルに戻っていないが、徐々に回復するとともに、行財政改革により、特に人件費を6億円程削減し、また、新たな借入を極力抑え、償還金も6億円程減少させてきた。その結果、合併を議論していた頃の取崩し可能な基金残高23億円に、20億円を積み増しすることができた。
 今後、認定こども園の建設、水道導水管の取替え、ごみ最終処分場の建設など大型事業が控えているが、努力の結晶を大切に使いたい。

台湾二水郷の動き(平成26年5月)

 平成24年10月8日、台湾二水郷と津別町は、「今後、双方は教育、文化、スポーツ、産業、観光、青少年のふれあいなど多元的な交流事業と協力体制を展開し、互恵かつ恒久的な親善関係を築くべく共に一層の友好発展に努力する」という友好都市協定に調印した。
 これにより、翌平成25年12月に完成予定の二水国民中学校の竣工式に、津別中学校吹奏楽部の派遣を考えていた。台湾外交部を通して連絡調整を行っていたところ、ある時からパタリと音信が途絶えた。不思議に思い、職員に調べるよう伝えたところ、台湾の『自由時報(電子版)』に、許郷長が収賄罪により有罪判決を受け、失職した記事を見つけ出した。
 現在は、友好都市調印式に同席していた陳二水郷議会事務局長が郷長代理を務めており、今年11月に行われる台湾の統一地方選挙に合わせて、二水郷郷長選挙が行われることが分かった。郷長代理からは「双方の首長がどのように代ろうとも友好関係に変わりはない」との意向が示されているが、本格的な交流のスタートは、新しい郷長が決まってからにならざるを得ないのではと思う。
 津別町には、平成20年1月に道内で初めて設立された日台親善協会がある。その後、旭川市や札幌市などにも次々と設立され、昨年10月に津別町を含む12の団体で、北海道日台親善協会連合会が設立された。台北駐日経済文化代表處札幌分處の陳處長は、道内のパイオニア的存在である津別町と二水郷がこのような状況になっていることを残念としながらも、交流促進に協力する言葉をいただいた。
 現在、津別町日台親善協会会長は、石橋崇司商工会会長で、会員数は45名を数えている。昨年の産業まつりでは、初めて台湾コーナーを設け、北見工業大学に学ぶ台湾留学生も参加した。こうしたことの積み重ねが、次へとつながっていくのだと思う。

「恋チュンつべつ」にほっこり(平成26年4月)

 3月4日、津別町をPRする動画「恋するフォーチュンクッキー津別版」が、ユーチューブから発信された。こうしたことを企画した職員とやろうと決めた「まちづくりセンター運営協議会」の皆さんに敬意を表したい。
 そして、AKB48から公式のお墨付きをもらい、町の認知度を高めようとしたことも良かったと思う。バレンタインデーの2月14日の昼休みに、企画した職員が三脚の付いたビデオカメラを持って町長室にやってきた。「これから町長のメッセージを撮ります。長いのはだめです。10秒くらいでお願いします。長いのはだめですから」と、いつも説明が長めのその職員から念を押されて収録した。
 4年ほど前に、津別町は「観光」「自然」「見処・食べ処」などを照会するビデオを専門の会社に作ってもらい、今も発信しているが、アクセス数は1,000件に届いていない。ところが、今回の動画は、あっという間に1万件近くになり、10日経った3月14日では、約3万件になろうとしている。すごいことだと思う。
 何故だろうか。町民の大勢を巻き込んだことによる「関わり感」があったからだと思う。39団体700名の町民が見たか見たかと、家族や親戚、友人などに連絡し、若い人たちはフェイスブックなどを通してどんどん広がっていったのだと思う。私も道内外の知友人や台湾二水郷の皆さんにも知らせようと、メールを発信した。返信メールには「町民の皆さんは素敵な人たちがたくさんいらっしゃる」「町民の方々が生き生きしている」「楽しい町づくりができていそう」「笑顔が素敵ですね。お、9,986件」「これだけの町民を巻き込んだことがすごい」「ほっこりするなあ」などと書かれていた。
町民の皆さんはもとより、津別町をよく知っている人たちからも、もっともっとアナウンスしていただければと思う。

久保純子のどんぐりラジオ(平成26年3月)

 1月29日、東京浜松町駅すぐ近くにある文化放送で、ラジオ番組の録音を行った。番組名は「久保純子のどんぐりラジオ」。地球の温暖化防止の取り組みとして、経済産業省がスタートさせた「どんぐりポイント制度」を広く知ってもらうための番組だ。
 「どんぐりポイント」とは何か?昨年11月に始まったこの制度について、以前、経済産業省の三田審議官は、番組で次のように説明している。要約すると、「例えば私たちはジュースを買って飲むが、そのジュースは、作るとき、運ぶとき、冷やすときにそれぞれ二酸化炭素を排出する。それを「見える化」して削減する取り組みを行うが、どうしても削減できない部分は、二酸化炭素を吸収してくれる木を植えるなどして削減した量と差し引きして帳消しにする。そうして作られた商品にどんぐりマークを付け、それを集めるとポイントがもらえて特典が得られるという仕組みで、これに賛同する企業を募っている」。つまり、ベルマークのエコ版と考えると分かりやすく、消費者と企業が連携して、さらにエコな未来をつくることをめざしている。
 これに地元企業の丸玉産業が参加している。トドマツ合板がそれで、材料の調達から製造、輸送、消費後の廃棄に至るまでの間に出される二酸化炭素の量を合板にプリント(見える化)し、その排出量をバイオマス発電で埋め合わせ、どんぐりマークをプリント(減らす化)する。そして、ポイントに応じて環境活動を支援する。こうした制度にわが町の企業が参加していることを、大いに自慢したい。
 番組の録音には丸玉産業の松本洋さんと出席。元NHKアナウンサーの久保純子さんとスタジオでトーク。やや緊張しながらも無事収録を終えた。この録音は、2月14日のバレンタインディーに放送され、大いに津別町のPRになったものと確信している。

除夜の鐘・初詣(平成26年2月)

 もう15分もすると新年を迎えようとする頃、初詣に出かけようと車に乗り込んだ。その際、町の様子はどんなものかと思い、市街地内を一回りしてみた。禅昌寺の横を通ると、小さめのアイスキャンドルに火を灯しながら、通路脇に一つ一つ並べている人がいた。
 次は順誓寺へと向かう。途中、初詣に向かう人たちの姿をあちこちで目にした。鐘撞き堂は上も下も除夜の鐘を撞こうと沢山の人で賑わっていた。今年はラーメンが振舞われたのだろうか。そう思いながら福王寺から妙照寺へ。いずれも寺に明りがついていて、途中で年が明けた。
 神社横に車を止め、鳥居に向かうと、駐在所の鈴木所長と北村巡査長がパトカーで警備にあたっていた。「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」と挨拶し、境内に向かうと長い行列ができていた。その列は圧倒的に若い人たちが多く、たぶん目的は受験の合格祈念だったのではないだろうか。
 この後、自宅に戻る際に佛願寺横を通った。こちらも寺中に明りがついていた。台湾二水郷に出かけたとき、同行された住職が、台中で購入した3Dのお釈迦様の絵は、いま納骨堂で優しく微笑んでいるだろうかと想像した。
 クリスチャンである曽野綾子さんの『人間にとって成熟とは何か』という本が売れている。その一節に「祈ったことのない人間は存在するか」という項目がある。
 「苦しいときの神頼みとはよく言ったものだ。人間はよく神と取引さえすると言われている。病が治りましたら、生きて帰ってきましたら、私は甘いものを断ちます、というふうに神に報いようとする」「神などいるわけがない、と言う人は、人間の力だけが可能か不可能かを決める、と思うのだ」。
 私は、人間の力だけが全てとはどうも思えない初詣に出かける方の人間である。

続・まちづくり懇談会(平成26年1月)

 10月23日から12月6日にかけ、17カ所で開催した7回目となる「まちづくり懇談会」が終了し、多くのご質問やご意見をいただいた。
 今回の懇談会のテーマは、昨年の2月と3月に、市街地にあった民宿と旅館が続けて不慮の事故にあい、営業を中止したことによる対応策。地域活性化のため、10月1日からスタートした起業者を支援する助成制度。そして、この町の高齢者福祉の現状の3点を中心に説明し意見交換を行った。
 宿泊施設の確保については、民宿を町が購入して増築することはやむを得ないとしながらも、運営者の応募がなかった場合や赤字になった場合の懸念が出された。観光施設の整備、空き店舗の活用、アパート建設など新たに事業を展開しようとする者に対する助成制度については、あまり意見がなかった。高齢者福祉ついては、懇談会の参加者の年齢が高かったこともあり、質疑が一番多かった。
 例えば、「国民年金で入所できる施設はないものか」「除雪することが年々大変になってきた」「美幌町のように高齢者対策として、安否を確認するセンサーを設置できないか」「若者対策として、もっと住宅をつくるべき」「町の人口を増やす方法は」等などである。
 また、定住促進のため、お試し暮らし住宅として提供している旧町長公宅に滞在中の横浜市の方も参加され、「介護保険料が日本一安い町であることをもっとアピールすべき」「津別町に移り住もうと思い、空き家を探しているが見つからない。ホームページの空き家情報サイトも物件がゼロ」などと話され、役場の職員は親切に対応してくれるとお褒めもいただいた。
 このように様々な意見を聞きながら思うことは、町が発行している「津別町のしごと」や「くらしのガイド」をもう少し役立てていただければということである。捨てられないための工夫が必要か。

町長顕彰(平成25年12月)

 毎年11月3日に、町の発展や振興に寄与された方を表彰する「功労表彰」と「善行表彰」を行っている。今年は、町内の各機関・団体から推薦いただいた候補者の中から、表彰審議委員会の答申を得て6名の方を表彰させていただいた。その方々は、いずれも各分野に豊かな識見と手腕を持ち、町勢の発展に寄与され、日々の活動を通じて指導的役割を果たしていただいた方たちばかりである。
 今年は、この表彰式に併せて3名の方の町長顕彰を行った。船橋市の小石税氏は30年前の船橋ポートライオンズクラブ設立とほぼ時を同じくして、津別町と船橋市の交流の架け橋となり、青少年を中心に様々な恩恵を与え続けていただいた。児島仁氏はNTTの役員として、津別町の携帯電話通信網や光回線の整備にご尽力いただき、スポーツ合宿の生みの親でもある。近藤益夫氏は津別病院の医師として地域医療や公衆衛生に多大なご貢献をいただいた。
 いずれの方々も感謝しきれないほどのご貢献をしていただいた方たちであり、2年ほど前からどのように感謝の意を表すべきかと3役ともども考え続けていたが、今回そうした気持ちをようやく形にすることができた。
 残念なことは、もう1人の町長顕彰候補者が辞退されたことである。その人は、町民の皆さん誰もが知っている、あのクリン草を町の観光資源に育て上げた但野勝氏である。平成9年に「町民の森自然公園」(現在、通称ノンノの森としてPRしている)が整備されたが、担当者として、その森に対する情熱は本当に凄かった。職場が変わっても、ほぼ毎朝出勤前に自分の車で森に通い続け、時には一日に2度もスズメバチに刺されながら、長い年月をかけ30万株にも及ぶ一大クリン草群を作り上げた。そんな但野さんに感謝の意を表したかったが、そう思ってくれるだけで充分だよと微笑まれた。

フードバンク山梨(平成25年11月)

 10月17日、姉妹都市である山梨県南アルプス市の市政10周年記念式典に出席した。市は平成15年4月1日に津別町と友好町であった櫛形町を含む4町2村が合併し、県下8番目の市として誕生した。式典には、国会議員を含む様々な方が参列し、国内の姉妹都市からは2町1村、海外からは3市が出席した。
 式典は正午に閉式し、夕刻から記念レセプションが予定されていたことから、この間を利用し、兼ねてから興味を持っていた「NPOフードバンク山梨」の米山けい子理事長にお会いできるよう市役所にお願いしていた。
 フードバンクとは何か?これはアメリカを発祥とする活動で「安全に食べられるのに、箱が壊れたり、印字が薄くなったりして、販売できない食品を企業などから寄贈してもらい、必要としている施設や団体、困窮世帯に無償で提供する活動」のことをいう。日本では食べられるのに捨てられる食品は、国民1人当たりほぼ1食分に相当し、フードバンク活動は「もったいない」を「ありがとう」に変える運動ともいえる。
 米山さんは事務局の女性を伴い、今回市が提供してくれた市役所の一室でスライドを交えながら1時間ほど熱心に話をしていただき、その後、市役所すぐ近くのオフィスと倉庫に案内していただいた。平成20年10月に、日本で初めて自宅の庭で始めた活動が、市民や企業の協力を得て、今では山梨県内に広がりを見せている。昨年は、遊休農地を活用したフードバンクファームを開設し、生保受給者もここで働きながら就労準備を行っている。ハローワークは1対1だが、ここでは集団作業で絆を取り戻しながら明日に向かっている。
 米山さんは言う。「困ったらまず行政を頼るのが日本。NPOは誰が困窮しているのかは分からない。だから行政と協働できる」と。姉妹都市交流の広がりを予感する。

読書の秋(平成25年10月)

 中央公民館内の図書室に出かけ、そこで働く金山司書に貸し出し状況などを聞いてみた。
 今年の4月から9月8日までの貸し出しで、雑誌部門のナンバーワンは『クロワッサン』、2番が『オレンジページ』。一般書の1番は今野敏の『晩夏東京湾臨海署安積班』、2番は百田尚樹の『海賊とよばれた男』とのこと。8月分に限ると、1番が新藤冬樹の『東京バビロン』で、2番が桜木紫乃の『ホテルローヤル』となっている。北海道を舞台に執筆活動する桜木さんの本は、今後更に貸し出しが増えていくのではないだろうか。
 出光佐三をモデルにした『海賊とよばれた男』はまだ読んでいないが、百田尚樹のデビュー作『永遠の0』は、ゼロ戦とともに戦い、機と運命をともにした祖父の生き様を孫が辿っていく内容だが、読んでいて何度も熱くなるものを感じた。この冬に映画化されるが、感動を与える良い本だと思う。
 さて、男女別の貸出統計を見ると、今年4月から8月までの間、男性が630人、女性が1,744人、昨年同期もほぼ同数で、女性の方が男性の約3倍図書室を利用していることが分かる。毎月男性が100人に対し、女性は300人ということである。ない本があれば図書館ネットワークを使い、他市町村の図書館から借りるシステムがある。東日本図書館協会の約束事で、送料は借り手と貸し手で折半することになっている。
 津別町を舞台にした本は、チミケップ湖が登場する吉村達也の『銀河鉄道の惨劇』がある。また、津別高校で教鞭をとったことのある児童文学作家、安藤美紀夫氏(本名安藤一郎)のデビュー作『白いりす』は、津別町に住んでいた時に生まれたものである。
 最近また、津別町を舞台にした本が出版されるのではとの話が聞こえている。是非そうなることを期待したい。

槌音が聞こえる(平成25年9月)

 町内のあちらでもこちらでも槌音が響いている。ケアハウス向かいのたつみ第3団地に単身者用住宅1棟6戸が10月に完成する。同じくケアハウス横の町有地には、株式会社エムリンクが、共生型住宅10室を併設した小規模多機能型居宅介護事業所を、来年4月の開所に向け建設を進めている。
 また、大通りの高橋サービスストアー跡には、網走信用金庫津別支店が新築中であり、10月下旬に落成式が行われる。農協の傘下にある有限会社だいちは、今年から2年計画で「牛の給食センター」であるTMRセンターを、達美の下水道管理センター近くに建設するため、8月19日に起工式を終えたところである。
 町が実施するものについては、先の単身者用住宅を含め、「津別町住生活基本計画」に基づき、今年も順次住宅建設を進めている。建設にあたっては、経費を抑えるため、建設会社が提案し建設したものを買い取る方式を取り、旧営林署跡地をまちなか団地とし、その後方にある旭町団地の建替えを含め、平成27年度までに66戸を整備することにしている。平成22年度から建設を開始したまちなか団地には既に38戸が完成し、今年から旭町団地を手がけ、今年度に10戸、来年度に更に10戸が完成する。
 また、津別小学校向かいに教員住宅を1戸建設中であり、完成後の旧教員住宅跡地については、町づくりに資するよう売却する方向で検討を進めている。9月には、幸町にある老朽化した職員住宅を解体し、建設会社提案方式により、来年3月までに1棟4戸を新築することとしている。
 さらに町民にあっては、国において消費税増税が検討されていることもあり、昨年個人住宅の建設は2軒だったものが、今年は10数軒になると聞いている。町民の皆さんが町を散歩されるとき、変わり行く町の様子をゆっくり眺めていただきたいと思います。

オホ☆キャラ隊(平成25年8月)

 平成24年10月5日、オホーツク管内市町村のゆるキャラが集結し、「オホ☆キャラ隊」が結成された。現在その数は3市6町の15体で、北見市が3つ、遠軽町が4つ、湧別町が2つなど複数所有している市町もある。小清水町はいま名前を募集中で、置戸町と津別町は町民等にアイディアを募集し、今年から来年にかけ制作される予定だ。
 6月2日に、大空町の芝桜まつりにあの有名な「くまモン」が来るというので出かけてみた。この会場にはオホ☆キャラ隊も数体参加していて、くまモン体操とくまモンダンスが雨の中披露された。動きの軽快さにオホ☆キャラ隊は圧倒されていた。熊本県庁チームくまモンが執筆した『くまモンの秘密』(幻冬舎新書)によると、くまモンは50mを11秒台で走るという。中に入っている人はダンスや体操なども充分なトレーニングを積んでいる。着ぐるみを着て、腰を軽く振ったり手を振ったりというありきたりの動きではない。しっかり訓練されたディズニーランドのミッキーマウスのようなエンターテイナーなのである。日本一のくまキャラを目指すには、当たり前の準備と言える。
 そこで思う。オホ☆キャラ隊もオホーツク地域の子供たちみんなが楽しめるダンスと体操を、できればこの地域出身の振付師に作ってもらってはどうだろうか。大きなイベントは全隊員でこのダンスを踊り、また、どこの幼稚園でもオホ☆キャラ体操をする。自前のイベントやビールパーティーなどでは大人も羽目を外して踊る。そんな風になると面白いと思う。
 お盆になると各地で盆踊りが行われる。定番の北海盆踊りは道民であればすぐに輪に入って踊ることができる。オホ☆キャラダンスもそのようにオホーツクのどの市町村でも踊られるようになれば、この地域の連帯感が増すように思う。さて、津別町のゆるキャラにまずは注目したい。

町章、町旗、町木、町花(平成25年7月)

 町章は、昭和46年3月発行の『新訂津別町史』に次のように書かれている。「本町のシンボルマーク町章は、林町長時代の昭和33年3月公募をおこない、125名の応募作品から審査の結果、岩手県盛岡市葦手町長沢章の作品を入選と決定し、33年7月1日制定したものである。この町章は、ツ別の文字を図案化、躍進津別の象徴を示し、中央のツは森林の町としての山を表す。さらに円形は円満と団結を、中央の白地は山麓に連なる沃野を意味している」と記され、開基70年記念事業として、現在の役場庁舎新築を機会に町章審議機関により決定された。
 町旗は昭和43年の北海道百年の佳節に合わせて現在のものが作られた。毎年7月に自衛隊美幌駐屯地において盛大な周年記念式典が開催されるが、その折に観覧席に向かって隊区内各市町村の市・町章を表した旗が横一列に並ぶ。そして、それぞれの市や町の特徴がアナウンスされるが、津別町の旗は他に比べると少し地味かもしれないと感じる。エンジ色と白地を基調とした旗は早稲田カラーに似ているが、「中央のツは森林の町としての山を表す」との記述からすると「緑」が使われても良いのではと思う。
 北海道の木でもある町木のエゾマツと町花のスズランは、開基百年を記念して、いずれも昭和59年9月22日制定されている。当時無作為に抽出した446人の町民にアンケートを行い、上位それぞれ3点の中から開基百年準備委員会において選定された。
 エゾマツは成長すると、高さ40m、幹回りが2メートルにもなる風格のある大木で凛としていていい。町花については、いま津別町で最も有名な花は、花言葉が「もの覚えのよさ」を意味する「くりん草」である。
 平成26年に津別町130年を迎えるが、町旗の色と町花について再考してはどうだろうか。

「空き家」対策(平成25年6月)

 昨年の「北海道町村会報」8月号に、日本ハムファイターズ栗山監督が住居を構える栗山町で、道内初の寄付方式による危険空き家を撤去する事業を始めたとの記事が載っていた。
 津別町も高齢化による世帯の減少を主な要因として、空き家が増加し、倒壊の恐れがあるもの、景観を阻害するもの、猫の住処になっているものなど、管理が不充分な空き家が目立つようになってきた。そこで、この栗山町の例は元より、ニセコ町や西興部村の例も参考にしながら、昨年11月の町づくり懇談会において町民の皆さんと意見交換を行い、持ち主が自主的に取り壊す費用の一部を助成する「津別町空き家等撤去促進事業」を今年4月から3年間の期限付きでスタートした。
 対象となる家屋は「3年以上使用していない。または今後使用する見込みのない空き家住宅と放置されたままの廃屋住宅で、町内の業者が取り壊しを行うものに限定し、50万円以上の工事金額に対し2分の1、上限を50万円として助成するもので、現在10件の申請があり、さらに5件ほど追加が見込まれている。」
 勿論、空き家は壊すだけが能ではなく、使えるものは売却や賃貸という方法もあり、町では「空き家バンク制度」を設け、登録を呼びかけているが今のところ応募はない。賃貸については、貸してしまうと戻らなくなるのではないか。立退き料を請求されるのではないかと心配する向きもあるようだ。難しい問題を含んではいるが、空き家を地域資源として活用している自治体も少なくない。不足しているのはアイディアである。
 ここ数年、津別町で様々な職に就いて働く他市町村出身者が増えている。町づくりの一環として、空き家の再利用についても、こうしたいわゆる「よそ者の目」から、思いもよらないアイディアが生まれてくることを期待したい。

2845(平成25年5月)

 3月28日朝、いつものように新聞受けから北海道新聞を取り出すと、一面に「道内高齢化率4割超」という記事が目に飛び込んできた。厚生労働省の国立社会保障・人口問題研究所が、2040年(平成52年)までの全国の地域別将来人口推計を発表した。それによると、津別町の人口は2040年に2845人になるという。
 果たしてこの数字は本当か、と思う方も多いかもしれない。2003年(平成15年)同研究所は、2005年(平成17年)から2030年(平成42年)までの国勢調査ごとの人口推計を発表した。津別町は、2005年の国勢調査人口は6222人で、推計値6207人との差は15人だった。さらに5年後の2010年の国勢調査人口は5646人で、推計値5647人に対し、その差は僅か1人だった。驚くべき予測である。したがって、2040年推計の2845人は、かなり確実性のある数字と考えられる。
 さらに記事にはもう一つ、2040年時点の高齢化率が載っていた。それによると、津別町は道内24番目の50.5%になるという。65才以上を高齢化率の対策とすることに少し疑問もある。「高年齢者雇用安定法」が改正され、この4月から65以上までの定年引上げをするか、希望者全員を65才まで継続雇用することが義務付けられた。年金受給との関連もあるが、まだまだ元気に社会の中核として働ける人たちに、高齢者という呼称は似合わない気がする。どうしても高齢化率が必要なら、70才あるいは後期高齢者年齢以上としてはどうだろうか。
 日本全体が人口減少社会へと向かう中、津別町も例外ではありえない。人口減少は徐々に、そして静に進むことから実感が湧きにくい。推計数字を認識しつつも、予測を裏切るような元気でスマートなまちづくりを着実に進めていきたい。

グリーン・ツーリズム(平成25年4月)

 平成19年に矢作芳信さんを会長に発足した津別町グリーン・ツーリズム運営協議会は、翌年から農家民宿と農業体験を交え、道外から修学旅行の受け入れを開始した。昨年9月末に神奈川県内で有数の進学校である県立神奈川総合高校が、2度目の修学旅行にやってきた。その報告書が先ごろ町に送られてきた。
 「他はどうか知りませんが津別最高」「ごはんいっぱい&おいしいーから、おやついりません」「ジンギスカン、お肉いっぱいで幸せでしたー」「いっぱい寝た」「ボーっと立っていたら猫がのぼってきた」「牛乳は絶品」「森林がまるで呼吸しているようだ」「農家の夕食での談笑が楽しかった」「まだまだいたいな。もう一日あればいいのに」。彼らの素直な感想が伝わってくる。中でも、おやつがいらないという感想が多く、次に来る後輩たちへのアドバイスのようにも思えた。働いた後の食事の美味しさと空腹感を感じさせない充実した滞在だったことが伺われた。
 畑中君は「今までは出来上がった商品を当たり前のように消費していたけれど、その背景には本当に苦労して作っている人たちがいることを忘れないようにしようと思う」と書いている。
 朝倉君は「神奈川に帰ってスーパーやコンビニなどで食品を見ていると材料になっている野菜などが、どのように農家で育てられ収穫されているのか想像するようになった」と書いている。
 古瀬さんは「空が近くて空気がきれいな北海道が恋しい」と、いつか再び訪れたい気持ちを素直に伝えている。短い滞在だったが、若い彼らの心に津別という町が深く残ったと思う。テレビや新聞などで津別町やその近くが紹介されたとき、彼らはきっとすぐに反応することだろう。
 残念なことは、こうしたグリーン・ツーリズムの活動を支えていたファームスティ「ティエラ」の女将、山内栄子さんの逝去である。謹んでご冥福をお祈りいたします。

減る議員数と職員数(平成25年3月)

 「〇〇でーす。どうぞよろしくお願いしまーす」という声が遠くから聞こえ、徐々に大きくなってまた遠ざかっていった。今日は、津別町議会議員選挙の告示日。立候補された皆さんが熱く町民に支持を訴えていた。
 昭和22年、戦後初の町議会議員選挙の定数は26名で、その後、昭和48年に22名、昭和60年に20名、平成元年に18名、平成13年に16名、平成17年に12名、そして平成21年に現在の10名となった。この間、議会は実に62%、16名もの議員定数の削減を行い、他の市町村も同様に削減を進めてきた。
 一方、衆議院議員の定数は、現在480名で、昭和21年に行われた戦後最初の総選挙の定数は、アメリカの占領下にあった沖縄の2名を除くと、466名であり、14名増加している。また、参議院議員の定数は、現在242名で、昭和22年の第1回通常選挙の定数は250名だったことから8名減少している。
 昨年の解散総選挙時には「身を切る」という言葉が声高に叫ばれていたが、本気度が伝わってくる気配はいまのところ感じられない。
 町職員数についても、普通会計、特別会計、公営企業会計の全てを加えた総職員数が最も多かった年は、昭和58年の194名で、今年4月の職員総数は118名になることから、39%、76名の削減を進めてきた。
 総人件費(議員、各種委員、三役、職員分の総和)が最も多かったのは、平成11年の15億円で、現在は9億円程度になっている。公債費(借金返済額)についても、平成17年の11億円をピークに現在は6億円程度に減少している。こうして不断に行政改革を進める中、国は「平成24年と25年の2年間、国家公務員の給料を削減するので付き合って欲しい。でなければ地方交付税を減額する」と地方をコントロールし始めた。本来、地方交付税は地方固有の財源のはず。

「双子の桜」危うし(平成25年2月)

 平成5年に「北海道の巨樹・名木」として選ばれた双子の桜が、衰退度を著しく増している。
 そんなことから昨年、樹木医の鈴木順策先生に診断をお願いした。12月に30ページに及ぶ診断書をいただいたが、今から19年前の平成6年の写真と比較すると、明らかに奇形していた。診断書によると「生育状況が極めて劣悪」「自然樹形がほぼ崩壊し、奇形化している」「上枝、下枝の先端の枯損が著しく多く」などと分析され、開拓当時はうっそうとした原始林に囲まれていたが、後の地形の改変により、南南西の強風を受ける劣悪な環境へと変化していった。
 総合判定としては「この貴重な樹木の今後の保存については、通常の維持管理や治療の外、必要に応じた科学的な環境圧対策が必要」とされた。さらに特記事項として「治療等に当面延命措置等最善を尽くすべきであるが、近い将来枯死に至る可能性が高い」とされ、その対応策として「後継木を予め選定し、その時期が到来したときに移植可能な状態にしておくのも選択肢の一つである」と書かれていた。
 毎年開花時期になると、あちこちからカメラ愛好家が訪れ、トヨタ車のカタログにも登載された。また、結婚式がここで行われたこともある。津別峠、チミケップ湖、クリン草、そして双子の桜は、津別町の観光になくてはならないものであり、しっかり対策を講じていきたい。
 鈴木先生の保全計画に基づき、初年度(25年度)は樹木治療として樹幹部、根張り、枯死大枝、病害枝の切除と、土壌改良を行うこととしたい、次年度以降は、防風網などを設置するとともに、木の周辺が堅密化しないよう、柵ではなく児童による花壇づくりを進め、さらに後継木選定の検討も行うこととしたい。推定樹齢75年以上といわれる双子の桜に、まだまだ頑張って欲しい。

「北のカナリアたち」から(平成25年1月)

 小さな島の小学校で教師をしていた川島はる(吉永小百合)が、夫の死をきっかけに島を追われ、20年後に図書館司書として定年を迎えようとするとき、教え子の起こした事件を知り、6人のかつての教え子たちに会いに行くところから物語は始まる。
 東映が創立60周年を記念して制作したこの映画に、ロケ地として稚内市、利尻町、利尻富士町、礼文町、豊富町の1市4町が登場する。置戸町長に「見たか」と言われて映画館に足を運んでみた。
 冬の利尻富士の美しさと吉永小百合さんの相も変らぬ美しさに感嘆する。物語は現在と回想シーンで構成されているが、20年のギャップを吉永さんは感じさせない。
 学校での「クリスマスふれあいコンサート」のシーンがあった。そこで6人の子供たちが山下達郎の「クリスマス・イブ」を歌い、吉永さんが指揮をとる。次に、子供たちの歌を聞く観客席が映し出される。画面の中央に川島はるの父親で、島で助役をしている堀田久(里見浩太郎)が映し出される。なんと、その左右にはエキストラとして、利尻町長と利尻富士町長がちゃっかり映っていた。ロケの合間に、お二人の町長が吉永さんと楽しそうに談笑する様子が目に浮かび羨ましく思った。
 1市4町にはこれから多くの観光客が訪れるでしょう。そこでふと思い出す。『かがり火』という地域づくりの月刊誌に、中高年向けの利尻島観光レポートが掲載されていたことを。こんなことが書かれていた。「次に重要なのは料理である。利尻島は海産物の宝庫である。しかし、アワビやミズタコのバーベキューは若者にとっては歓喜のご馳走だが、中高年には歯が立たない。素材よりも洗練された料理が欲しい。利尻島の宿泊業の方々は島を挙げて料理の研究に取り組むことをお勧めしたい」と。
 津別町にとっても参考になるアドバイスだと思う。

東京つべつ会と本岐かかしの会(平成24年12月)

 10月28日、場所を違えて津別町に関係する二つの会が催された。
 その一つが、毎年東京で開かれる「東京つべつ会総会」で、今回はいつもより少し多い69名が出席された。総会後は津別の食材を料理し交流する「つべつを食べる会」が行われた。この席で、津別町東岡出身の松木さんからえらく怒られた。理由は、この日の出席者に配布した観光パンフの中に「町内マップとアクセス方法」というページがあり、ここに町の主要な地名と施設名が記載されている。このマップに「東岡」の記載がないというのである。これでは、ここが私が育った場所だと人に伝えられないと叱られた。
 帰町してから、改めて活汲、岩富あたりを見てみると、やはり「東岡」が見当たらない。と思いきや、よく見るとあった。共和や豊永にある公共施設の表示が集中して記載されている箇所の横にあった。位置が少しずれているようだ。見づらくて大変申し訳なく思う。
 佐藤仁宣会長は開会のあいさつで、「この集まりを同窓会としても活用して欲しい」と話されたが、今回は津別町から大東勲さんや篠原寛正さん一行が同窓会を兼ねて出席され、東京観光も楽しんだという。こんな風に来年も盛り上がって欲しいと思う。
 さてもう一つ、「本岐かかしの会」が、恩師を含め112名が出席して北見市内のホテルで開催された。10年前に結成され、今回は6回目で、次回は2年後に札幌で開催するという。本岐のかかしは、鹿柵がまだ町内に張り巡らされる以前に、地域おこしを兼ねておしゃれに大量に立てられた。それが週刊誌にも取り上げられ、「かかしの里」として一躍有名になった。今、道内外に住むこの地域出身の人たちが集まり親交を重ねている。
 こうした故里を思う人たちに、こちらからもエールを送りたい。

<記事の訂正について>広報9月号「たてよこプラス」の中で、笠康三郎氏から役場正面玄関の左右に植える樹木のアドバイスを受け、トウヒと書くべきところをストローブと書いたことに対しお詫びし訂正いたします。

台湾二水郷と友好都市締結(平成24年11月)

 平成19年5月、台湾外交部の紹介で、二水郷郷長(町長)一行が津別に来町してから5年。この間、双方の交流が続き、去る10月8日、二水郷公所(役場)において友好都市の調印を行う。
 当日は、ジリジリと日差しの強い日で、午前9時半公所に到着すると、玄関には立派な看板が設置され、また電光掲示板に歓迎の言葉が流されていた。玄関前にある蒋介石の銅像の前で、ピンクの衣装を着た老人大学の生徒さんとスタッフによる太鼓と獅子舞が披露され、続いて小学生によるオカリナ演奏。そして、男女4人による「長崎は今日も雨だった」など日本の曲を含むサックス演奏で歓迎を受けた。
 調印式は午前10時から公所3階に約100人ほどが集まる中行われたが、郷長の長い日本語のあいさつに驚かされた。許文耀郷長は51才で、日本語が話せないにもかかわらず流暢なあいさつ。後でその理由を尋ねてみると、ひらがな50音の読み方を覚え、あいさつ原稿をひらがなで書いて読んだと言う。思わず「うーん、やられた」と思った。二水郷の皆さんが津別町にいらした際には、少し中国語であいさつができるようにしておこうと思う。が、しかし、発音に苦労しそうな気もする。
 この後、二水国民中学校を訪問すると、吹奏楽部による屋外歓迎演奏会が行われ、台湾の民謡「望春風」が印象に残った。学校は老朽化したため、現在取り壊し中で、新校舎の完成は来年とのこと。したがって、予定していた中学生の交流は少し伸びるかもしれない。
 この日の夜は、老人大学のスタッフが主催する歓迎夕食会が開かれ、そこに北海道を旅したという人もいたが、いずれも札幌周辺の旅だったとのこと。来年は二水郷が津別町への訪問を計画するようなので、ぜひこちらの良さを満喫して欲しいと思います。お待ちしています。

成田家流ばか面おどり(平成24年10月)

 昨年の広報4月号に、いつも津別のことを思っていただいている足長おじさんこと、船橋市の小石税さんのことを書きました。
 最近では2年前の夏、小石さんが所属する船橋ポートライオンズクラブがスポンサーとなり、将来プロを目指す子たちも加わった船橋ポートジュニア野球チームを津別町に派遣していただきました。北網地区の中学生たちと交流試合を行ったのですが、彼らはまるで高校生のようなレベルの高さで圧倒的に強く、こちらの選抜チームは残念ながら、ほとんど歯が立たない状態でした。試合終了後、大変刺激を受けたと各校の先生が話していたことを思い出します。
 今年は、ライオンズクラブ結成30周年記念事業の一環として、9月9日、10日のふるさとまつりに、成田家流ばか面笑福おどりの皆さんを派遣され、まつりを大いに盛り上げていただきました。毎度のご厚誼に深く感謝いたします。
 今回、この一行を率いて来られたのは、成田家流ばか面笑福おどりの家元で、成田家笑幸こと高瀬幸次さんです。本職は東京都庁の職員で、下水道を担当しているとのこと。町おこしが大好きで、その一環としてこのような活動をされていると聞きました。このばか面おどりは、9日の津別神社斎宮祭で奉納され、またケアハウスの皆さんにも楽しんでいただきました。
 さて、まつり本番の10日。「消防団長が祭典委員長になった年は雨が降る」というジンクスは生きていて、今年のまつりもやはり雨模様でした。昼12時スタートの神輿渡御の前列に、ばか面おどりの皆さんが陣取り、見るだけで思わずふき出すような愉快なお面と動作で町内を回りました。天も可笑しかったのか雨の勢いを弱め、町民の皆さんは初めてみるユニークな踊りを目の当たりにし、満面の笑みを浮かべていました。
 笑う門には福来たる。

フラワーマスター(平成24年9月)

 フラワーマスターとは、「その地域の花の育成管理や町並み景観に配慮した花の使い方などを指導助言できる人」を北海道知事が認定する制度で、平成8年に始まりました。現在、オホーツク管内には300人を超えるフラワーマスターがいるそうです。
 町政方針に掲げた「美しくて美味しい町づくり」の一環として、7月29日に津別町で認定講習会を開催したところ、遠く稚内からの参加者も含め88人が受講されました。講師の中井和子さんと笠康三郎さんの講義は、期待していた通りのものでした。
 「その町の景観を見ると町民の文化度と行政の本気度が分かる」「連続した町並みを作るには、ゆるい約束事が必要」「観光客を歓迎するのは看板ではなく風景。看板は道案内程度に」「サインは統一されたデザインでシステム化されていること」「役所からもらった苗には愛情は湧かない。札幌では民生委員が独居老人と一緒に苗づくりを楽しんでいる」「花壇はあまり模様にこだわらず、落ち着いたものに。札幌グランドホテルの花壇のように」さらに「一年草だけでなく宿根草を取り入れ、あまりお金をかけない方が長続きする」などと話されました。
 講義はスライドを使いながら行われたのですが、突然、津別町役場の正面の映像が映し出されました。「レトロでいい感じの役場ですが、フラワースタンドの位置が変です。また全体的に周辺が殺風景なので、正面玄関横の左右に一本ずつ形のいい木を植えてはどうでしょうか」とアドバイスされました。講習会終了後「どんな木がいいでしょうか」と尋ねてみると「本当は地元の松にしたいところですが、ストロープが良いのでは」と助言をいただきました。
 できれば再び先生にお越しいただき、フラワーマスターになられた皆さんと一緒に、町めぐりをしてみたいと思います。

住民満足度調査(平成24年8月)

 昨年11月に実施した住民満足度調査。これは、毎年25か所ほどで実施している町づくり懇談会に加え、より広く町民の意見や提案を聞き、行政サービスを見直そうとするもので、1,589人のアンケート調査に対し、579人(36.4%)から回答を得ました。集約に時間がかかり報告が遅れたことをまずお詫びします。
 さて、21項目の質問に対し、満足とやや満足の合計が7割を超えるものが10項目ありました。上水道の整備、子どもの医療費無料化、生涯体育の取り組みがベスト3を占めています。反対に満足度が最も低かったのは、昨年4月に大通りにオープンした多目的活動センター「さんさん館」で、満足と不満が拮抗し、分からないが21.2%を占めました。これは、いわゆるハコモノに対する疑問や建物の色彩が高齢者の支持を得られなかったなどと思われます。
 その後、この建物は様々なイベントなどにも積極的に活用され、全国木材活用のコンクールで最優秀賞の農林水産大臣賞を受賞しました。6月からは、朝のラジオ体操が毎日行われており、私も参加していますが、黒と茶色の木目が調和し、また周囲のカラフルな花と芝生が、黒をバックにその美しさをさらに際立てています。次回調査(2年に一度)の結果に注目したいと思います。
 この調査表に、2,341件の意見・提言の記述があり、すべての項目において互いに異なる意見が書かれていました。例えば、子どもの医療費無料化について「とても良い取り組み」と「子どもばかり優先しているようで不満」といった様に。しかし、この項目の集約結果を見ると、満足とやや満足が78.8%、不満とやや不満は9.7%であり、ここから導き出される結論は、引き続き実施ということになります。このように住民の意向を把握しながら、まちづくりを進めていきたいと思います。

までいの力(平成24年7月)

 5月26日と27日の両日、北海道で初めて開催された「全国小さくても輝く自治体フォーラムin北海道東川町」に職員と共に参加。
 オープニングは地元小学生によるブラスバンド演奏。続いて東京都写真美術館長 福原義春氏の記念講演。その後、三つの分科会、特別講座、町村長交流の5つのセクションに分かれ、活発な意見交換が行われた。夜は、全国から集まった学者、首長、自治体職員、議員など400名ほどが一堂に会した立食交流会が催され、名刺交換を行いながら懇親を深めた。
 翌日は、全体シンポジュームと福島県飯舘村の菅野典雄村長の特別報告があり、午後からは大雪の原水地や幼児センターなど町内の視察が行われた。どれもこれも町づくりの参考になったが、中でも菅野村長の話は心に響いた。
 福島第一原発事故で計画的避難区域に指定された日本で最も美しい村連合に加盟する飯舘村。いま、復興をめざし除染の努力が続けられている。この村民の精神的な柱となるものが福島の方言で「心を込めて」という意味の「までい」の力。我々が使う「まてい」という言葉に当たるのかも知れない。ニューヨークでも講演した菅野村長はこう語った。
 「大抵の災害は復興に向けてゼロからスタートするが、私たちの場合はゼロ(放射能除去)に向かって進める。日本の社会は、これまで物を充足させることを優先してきたが、命や心を大切にする生活に変えていくべき。果たしてスピードが〇で、スローは×なのだろうか。多くを持っていない人が貧しいのではなく、多くを欲しがる人が貧しいのではないだろうか。物欲は次の物欲を生むだけである」。おっしゃる通りだと思う。
 「永遠に続く登山などはない。下山のなかに登山の本質がある」と、講演の中で紹介された五木寛之の『下山の思想』を読んでみることにした。

岩手県住田町(平成24年6月)

 4月21日に船橋市で開催された船橋・津別青少年交流協会総会への出席を利用し、その前日、「森林・林業日本一の町づくり」を目指す岩手県住田町に足を延ばした。千歳から花巻空港に降りると汗がにじむような陽気。そこからレンタカーで太平洋側へ走ること約90分。人口6,300人ほどの山間の町で、そこからもう20分ほど車を走らせると、東日本大震災で被災した陸前高田市へとつながる。
 かなり年季の入った住田町役場に着くと、早速町長室に案内された。多田欣一町長は東京農大を卒業後西部デパートに勤務。その後、生まれ故郷の住田町役場に入職。農業部門を長く担当し、町長として現在3期目。
 林業・林産業を柱とした着実な町づくりを進め、研修に来る林野庁の職員で定住した人もいるという。この住田町が昨年マスコミを賑わせた。それは陸前高田市、大船渡市、釜石市などの津波により被災者を受け入れるため、3億円近い町費を専決処分(町長が議会にはからず自分で決めること)をし、240名ほどが働く木工団地で製材された杉材を使った木造一戸建ての仮設住宅を建設したのである。仮設住宅は、通常プレハブで県が発注するもの。これを県の許可や議会の承認なく、被災者の生活を早く支援しようと多田町長は町費による建設を即断した。
 議会は理解を示し、どうせつくるのならプレハブに負けないものをつくれと後押ししてくれたという。住宅内を見せてもらうと、国産のペレットストーブが設置され、燃料ペレットは先の木工団地から供給されていた。3・11から約2ヵ月半で93戸を完成させ、いま被災者はプライバシーの保たれた空間に住んでいる。
 津別に是非来てくださいと話すと「今年中に行きます」と答えが返ってきた。そして8月24日に来町することが決まった。講演をしていただこうと考えている。

震災がれき(平成24年5月)

 被災した東北のことを思わない人はいないでしょう。しかし、がれきの取り扱いをめぐり、自治体は板ばさみになっています。
 津別町最上にあるクリーンセンター(ごみ焼却施設)は、約1億5千万円をかけ平成4年に建設しましたが、その後、焼却炉や排ガス処理施設の老朽化が進み、平成22年3月をもって稼動を停止しました。現在はご承知のとおり、燃えるごみは大空町の焼却施設に搬入し、逆に大空町の生ごみは津別町が受け入れ堆肥化する広域処理を行っています。
 共和の最終処分場は平成11年に約10億5千万円をかけ建設し、その後、ごみの分別と有料化により、年間1800㎥あった埋め立てごみは500㎥にまで減少。飛躍的に施設の延命が図られるようになりました。しかし、大空町では草木の焼却は行っていないことから、これを埋立てに回したため約1000㎥に増加。これからすると、あと10年で満杯になる計算になります。近い将来、新たな最終処分場の建設などを含め検討をおこなわなければならない時期がきます。
 4月1日の北海道新聞「異聞風聞」に「がれきに見る無責任の拡散」と題する記事が掲載されました。その中で、首長を経験したことのある道議会議員の言葉が載っていました。「広域処理とは、地方に丸投げということ。本当はまずいのに、いつの間にか引き受けなければというムードに道も議会も流されている。末端の町村は人手も技術もなく、長期の監視などとてもできない。」確かにと思える発言です。
 放射能にかかわらず、そもそもごみ処理はどの町村も頭を痛めてきた問題です。津別町もそうでした。建設場所やその後の管理にかなり神経を使い、何よりも住民の理解を得ながら進めてきました。国はこうした実情をしっかり踏まえ、これ以上時を経過させることなく対処すべきです。

断水(平成24年4月)

 3月7日夜、携帯電話が鳴った。こんな時間の電話は良くないことが起こったに違いないと思いながら電話に出る。案の定水道のトラブルだった。22時12分頃、中央監視装置が配水量の異常を知らせたことから、どこかで大量の水漏れが起こっていると判断。職員を班分けし漏水箇所を捜索する。午前零時ころ漏水箇所を発見。現地に行くと民地の裏庭で大量に水が吹き出していた。このままでは配水池が空になるため断水を決断。
 給水タンクは町に1台と消防に10tタンク車が1台。これでは足りない。真夜中で申し訳なかったが、美幌町に応援を要請する。美幌町からも2台。合わせて4台体制で、午前6時の給水開始に向け準備を進めた。
 津別町の水道は、相生に水源をもつ簡易水道と上里に水源をもつ上水道がある。市街地への配水は高台の配水場を経由するルートと経由しないルートの2系列がある。今回は配水場を経由するルートが断水することとなった。これを幾分でも和らげようと、別ルートから市街地への水の供給を試みたが、全体をカバーするには至らない。このため、北見市、大空町、訓子府町に応援を要請。午前7時過ぎから給水体制に加わってもらう。
 一方、亀裂の入った直径200ミリの塩ビ管の在庫が近隣の会社や役所になく札幌に発注。朝にこちらに向かうことになった。もう少し早く手に入らないかと、断水時の応援協定により日本水道協会北海道地方支部道東地区協議会(釧路市長が区長)に在庫の確認を依頼。浜中町役場にあることが判明。ここから配送してもらい、管の取替えを行うことができた。高所にある住宅から元通り水が出ると連絡を受けたのが夕刻。これをもって完全復旧とした。
 ご迷惑をおかけした町民の皆様に深くお詫びを申し上げますとともに、協力をいただいた全ての方々に感謝を申し上げます。

みなと森と水サミット(平成24年3月)

 昨年7月8日、東京都武井雅昭港区長と「間伐材を始めとした国産材の活用促進に関する協定書」を締結しました。この協定書の序文には「港区と津別町は、都市部における間伐材を始めとする国産材の活用を通じて、日本の森林整備を促進し、森林の二酸化炭素吸収量を増大させることにより、国内林業の活性化及び低炭素社会の実現に貢献するために協定を締結する」と書かれています。
 現在、港区とこの協定書を取り交わしている市町村は47を数え、北海道は下川町、紋別市、津別町の3市町です。地球温暖化の原因となる二酸化炭素を吸収しながら成長した樹木を、区内の建築物に使うことにより、その分の二酸化炭素を封じ込めようとするものです。区では延べ床面積5千㎡以上の建築物を建てる場合は、1㎡につき0.001㎥以上の協定自治体から産出された木材を使うこととしています。こうしたことから、えこひいきをもじり「エコひい木大作戦」とも呼ばれています。
 協定自治体は「みなと森と水ネットワーク会議」に加入し、年に一度サミットや特産品の展示販売なども行っています。2月8日、首長によるサミットに始めて参加し、北海道・東北ブロックの分科会にも出席しましたが、石巻市長の「福島を機に、今後電力は火力が中心になる。だからこのみなとモデルをもっと広げなければ」という発言が印象に残りました。
 また、岩手県住田町の町ぐるみで進める取り組みに興味を惹かれました。林業関係者や新たなエネルギー開発を模索し始めた人たちと是非とも訪れてみたい町です。協定自治体すべてで災害協定を結び、統一基準による仮設住宅キットを製作し、それぞれ数個ずつ常時保有し、どこかが被災したときには協力し合おうというアイディアなども活発に出された大変意義深いサミットでした。

津別人の活躍(平成24年2月)

 津別人、あるいは津別町に関わる人たちが活躍するニュースが続いています。
 最初に有岡宏さん。有岡商店有岡惇二様のご子息で、東京大学を卒業後、現在の総務省に入省。昨年の夏まで広島県副知事を5年間務めた後、自治大学校副校長に就任。そして、今年の一月一日には、消防庁消防大学校校長に就任されました。大変気さくな人柄で管内町村長の間でも人気があります。今後の更なるご活躍を期待するものです。
 次に石川瑞季さん。津別小学校一年生の時にミニバスケットボール少年団に入団。菊池能正コーチに鍛えられ、津別中学校からバスケットボールの名門校、札幌山の手高等学校に進学。徐々に頭角を現し、2年生の時にインターハイ、国体、ウインターカップの三冠を征す。3年生になり、センターフォワードとして国体とウインターカップで全国優勝。この4月からは新潟の大学でバスケトボールを続けるとのこと。今後はインカレで活躍して欲しいと思います。
 次は奈良竜樹くん。出身は北見市ですが、津別町に住む篠原勲さんのお孫さんになります。北見小泉小学校の時からサッカー少年団で本格的に競技を始め、札幌国際情報高校に進学し、コンサドーレ札幌のユースチームに入る。J1入りを目指して戦った終盤7試合に、センターバックとしてフル出場し、昇格に貢献しました。この一月に正式契約を終え、グアム島へキャンプに出かけるそうです。現地ではお母さんの友人で、津別町出身の日本人会スタッフ臼井里香さん(旧姓森川さん)が出迎えてくれるでしょう。今年のJ1リーグは目が離せません。札幌ドームに応援に出かけましょう。
 町の活性化は情報の活性化です。お三方には遠く離れたところで、津別町を話題にして欲しいと思います。津別町のソーシャルメディアとして。

まちづくり懇談会雑感(平成24年1月)

 平成19年から始めたまちづくり懇談会は、今回で5回目を終了しました。毎年、自治会長にご苦労をおかけしながら、役場の地域担当連絡員と共に地域に出かけ、まちづくりについての意見交換を続けてきました。
 1年目は25ヶ所、2年目は19ヶ所、3年目は25ヶ所、4年目は18ヶ所、そして今回5年目は19ヶ所で開催したところです。この間、町の財政状況について、歩いて暮らせる町づくりについて、総合計画づくりについて、ホテルフォレスターの存続について、町道の整備計画について、多目的活動センターの建設について、こども園の建設についてなど、その年々によりこちらからテーマを投げかけながら意見交換を行ってきました。
 5年続けていると、いろんなことを感じます。「いつも参加する人が来なかったけど、病気でもしたのかな」、「相変わらず厳しいことを言う人だなあ」、「いい提案をする人だなあ」、「奥の深さを感じる人だなあ」、「あのおばあちゃんの笑顔と頷きは和まされるなあ」、「地域担当連絡員の説明能力上がってきたなあ」などなど。
 これらは続けてきたから感じることであり、今後ともこの懇談会は継続していくつもりです。仮に、出かけていくことが億劫に感じるようになった時は、町長としての資格がなくなる時と考えています。
 自由な意見交換になると、参加者からの質問意見の多くは、圧倒的に建設課が所管するものになります。道路整備のこと、除排雪のこと、草刈のこと、これは町民の3大要望なのかも知れません。これらは高齢化が進むほど出される回数が正比例するようです。除雪については、昨年から委託業者と自治会長を含めた除雪会議を始めました。実態を知り認識し実行することで理解が進みます。こんな風に懇談会を進化させながら、今年も町づくりを進めていきます。

4年ぶりの台湾(平成23年12月)

 11月9日から総勢7人で台湾を訪問しました。思い起こすと平成19年5月に、彰化県二水郷の許文耀郷長(町長)一行が津別町に来られたことから、答礼としてその年の11月に二水郷を訪問したのが交流の始まりでした。当時は農業用水に感謝する「放水祭」と呼ばれる伝統的な祭りが行われていて、大変手厚い歓迎を受けました。翌年2月には、二水郷の副郷長などが空に打ち上げる天燈作りに来町されたことから、同年11月、副町長を先頭に再び訪問団を派遣しました。その後、許郷長が選挙に破れて交流が一時中断していましたが、本年、再選を果たしたことから交流が復活し、訪問する運びとなりました。
 今回の訪問も放水祭に合わせて実施しましたが、4年前の津別町の訪問をきっかけに、すっかり国際的な祭りに発展し、台湾に駐在する各国の大使や領事も招待され、外務大臣の挨拶が行われるなどビックなイベントに成長していました。津別町からは今回が3度目の訪問であり、友好都市の締結と中学生同士の交流についての話し合いを行いましたが、当地の皆さんから人情溢れるおもてなしを受け、映画「三丁目の夕日」のように、人と人が絆を深めていた遠い昔の日本が思い出されました。
 こうした所に、多感な年頃の中学生を訪問させたいと思います。きっと彼らは、日本に対しなぜこんなにも親密な感情を持つのかに驚き、その訳を知りたくなるでしょう。また、遠くから津別町を見つめ直すきっかけになり、改めてこの町の良さを自覚するでしょう。
 来年の夏、二水国民中学校の黄校長やPTA関係者が、津別町への訪問を検討したいと言っていました。その時は、許郷長や議員の方もぜひ一緒に来ていただきたいと思います。こうしたきっかけを通して、高齢者の交流へも広がって行くことを期待したいと思います。

滝上町の面白い店(平成23年11月)

 「服選び、昔ブランド今サイズ」、「気がつけば、家電も頭も薄型へ」。9月末に「美しい村づくり条例」をもつ西興部村と認定こども園を開園した滝上町に出かけてみました。朝7時半に出発し、帰ってきたのは夕方の5時半。十勝圏の陸別町は40分もあれば行けますが、同じオホーツク圏の西興部村までは3時間。旭川まで行けそうな遠さで、改めてオホーツクの広さを実感しました。
 さて、最初に書いた川柳いかがでしたか。以前、管内の町村長と議長の集まりで、ひょんなことから滝上町の食べ処「天手古舞(てんてこまい)」のことが話題になりました。面白い店だから機会があれば行ってみてはと言われたことを思い出し寄ってみました。店の中には壁中ぎっしり短冊に書かれた川柳が張り出されていて、じっと読んでいると頷かされたり、思わず笑ってしまったり。
 「寝返りは布団の中とは限らない」、「参観日、静かにしなさいそこの親」、「美人ならあなたの妻になってない」、「父さんの我慢でつづる結婚史」、「妻無言、どれがばれたか苦悩する」、「不用品出してまた買う不用品」とこんな感じです。
 私が気に入った川柳は「へそくりの紐やゆるむ孫の顔」と「恒例の行事支える高齢者」です。川柳はこの店のご夫婦が作られているようですが、アソビ心を持ちながら人生経験をつづる調子は心に響きます。機会を見て是非また行ってみたいと思います。
 コーヒーを飲み終え、同行した課長とレジで支払いを済ませようとしたところ、「刑事さんですか」と思いもよらない言葉が返ってきました。回りには行方不明になったままの女性図書館員の張り紙があり、改めて事件のことを思い出しました。危険な世の中になったと再認識するとともに、この店のご夫婦のような人生を楽しむ生き方に共感を覚えたところです。

景観十年、風景百年(平成23年10月)

 7月14日〜15日、「美しくて美味しい町づくり」の参考にしようと、自治会連合会や町並みづくり推進協議会などの皆さんと視察に出かけました。行き先は「日本で最も美しい村連合」の会長の町、美瑛町。そして町営の種苗センターを持つほど花の町づくりに力を入れる東神楽町の2町で、途中木の看板と写真甲子園で有名な東川町にも立ち寄りました。
 津別町も小南町長の時代に、花のまちづくり推進協議会を結成し、花壇コンクールなど様々な取り組みを進めてきました。時を経て平成16年に合併協議が進められましたが、翌年1月の住民投票の結果、自立の道を選択することになりました。厳しい財政運営が予想される中、100名程の町民による「自主自立まちづくり検討会議」が設置され、事業の見直し(今で言う事業仕分け)が行われました。その中に「花のまち推進事業」があり、これに対する検討会議の答申は「事業については継続するが、行政の関わりや予算は縮小していくべき」というものでした。
これに基づき予算を縮減しましたが、その後、花の取り組みは担い手の高齢化とも相まって、徐々に小規模化していきました。そこで今、美しい町を目指し、視点を変えて再び花の町づくりを進めようと出かけてみました。
 今年は、津別神社の秋季大祭で祭典委員長になったことから、車の荷台から祭囃子を聞きながら町の様子をゆっくり眺めることができました。そこで感じたことは、改めて花を大事にする町だなあということでした。来年は、北海道が主催するフラワーマスター資格取得講習会を津別町で開催できればと考えています。花づくりと景観の講義を町民の皆さんと一緒に受講するつもりです。多くの人が花の飾り方、見せ方を学ぶことによって、この町は更に美しくなっていくでしょう。「景観十年、風景百年、風土千年」といいます。

来年度の主要事業(平成23年9月)

 「平成23年度がまだ半分も終わっていないのに、もう来年の話か?」と思われるかも知れません。津別町の予算編成の進め方はこうです。まず7月下旬までに各課から総合計画など各種計画、自治会要望、私の公約などを元に来年度に実施したい比較的大きな事業を企画財政課に提出してもらいます。それを取りまとめ8月の2週目あたりで町長ヒヤリングを行います(今年は8月8日〜11日に実施)。その後、現場を見る必要のあるものについて視察を行い、内部協議を経て提出された事業ごとにABCのランクを付けて各課に通知します。
 例年、新年度の予算要求資料の提出期限は12月中旬頃で、順次企画財政課で査定を行った後、引き続いて副町長、町長の査定を行います。その際Aとランク付けしたものは、よほどの事情がない限り来年度実施するので予算要求書に載せていいですよというものです。Bランクは、とりあえず予算要求書に載せてもいいけれど、全体的な予算の状況を見て実施するかどうかを決めますというものです。Cランクは、今はちょっと無理ですねぇーという意味です。
 平成21年と22年は、様々な名称が付けられた臨時交付金が次々と交付されたことに加え、三位一体改革で削減され続けてきた地方交付税が復元されたことから、今年度の予算まではそれほど頭を悩ませずに編成を行うことができました。しかし、臨時交付金も終了し、なおかつ東日本大震災の復興財源の行方を考えたとき、来年度予算の編成はこれまでと同様にはいかないと予想しています。
 そうした中で来年度の主要事業のヒヤリングを終えたところですが、思わず唸ってしまうような大きな町単独事業が幾つかありました。これから現場も見ながら優先度合をしっかり判断し、ランク付けを行っていきたいと思います。

エコひい木大作戦に参加(平成23年8月)

 日本の森を守りたい。地球温暖化防止に寄与したい。という2つの理由で、山の無い都心の港区が、「みなとエコひい木大作戦」を展開したことから、これに津別町も参加し、えこひいきをしてもらうことにしました。
 港区は平成21年1月に、山側自治体との出会いを求めて「みなと森と水のサミット」を開催し、平成23年2月の第3回サミットにおいて、区長と23の自治体の首長が協定を結びました。その内容は港区への木材供給と伐採後の再造林を保証した協定であり、今年10月からスタートする区独自の二酸化炭素固定認証制度の運用開始に向けた第一歩を踏み出したのです。当時、北海道からは紋別市と下川町が参加し、今回7月8日に行われた2回目の調印式で、津別町を含む全国9市町が新たに仲間入りしました。既に調印を終えた市町村を加えると32の自治体となり、この内6つの自治体が森林セラピー基地の認定を受けています。これも必然的なご縁かと感じているところです。
 間伐が適切に行われた森には光が差し込み、土壌が蘇り、木々は二酸化炭素を吸収し、森の機能を高めます。間伐された木は山に捨て置くのではなく、有効活用し製品化されることで森の再生につながります。そして、この国産材である間伐材を建材や家具などに活用することにより、吸い込んだ二酸化炭素を固定する(封じ込める)ことができます。ここに消費地である港区が都会の出番だとして登場する意味が生まれます。
 7月8日の東京は大変暑い日で、午前中に林野庁を訪問した後、調印式会場の港区立エコプラザに向かって歩いてみました。汗が吹き出て止まりませんでした。会場では津別町のオーガニック牛乳と静岡県川根本町の緑茶が出されましたが、牛乳の評判は上々でした。今後、他の分野のえこひいきも大いに期待したいと思います。

あるもの探しをしよう(平成23年7月)

 毎年1日だけだった「くりん草まつり」が、今年は津別町が森林セラピー基地に認定されたこともあり、様々な人が力を合わせ、2週間というロングランとなりました。その初日の6月11日、スイスアンサンブル・エンツィアンの皆さんによるヨーデル音楽会が開催されました。その前段のオープニング挨拶のため、オホーツクサイクリングの練習を兼ね、自転車でランプの宿に向かったところ、途中からポタポタ…ボタボタ…ザザーと雨。急いで引き返し、着替えて再び上里へと向かいました。
 エンツィアンとは、ヨーロッパアルプスに咲くリンドウ科の高山植物のことで、エーデルワイスとともに採取禁止植物に指定されています。この花をグループ名にし、東京からおいでいただいた4人の方々の歌声と演奏は本当に素晴らしかった。ヨーデルを歌う伊藤恵子さんは、スイスで3年に1度開かれる「連邦ヨーデルフェスト」に、日本人として始めて出場が認められ、最高クラスの認定を受けられた方です。チミケップホテルの支配人である勝田里美さんの高校の後輩にあたるそうで、前日はチミケップホテルに宿泊されたそうです。
 翌朝、つまり6月11日の朝。メンバーの一人石川勝巳さんが、練習のため湖面を前に自作の長いアルプスホルンを吹いたところ、木霊が返ってきたそうです。それも2度も返ってきたことに驚いたといいます。さらにもっと石川さんを驚かせたのは、アルプスホルンの音色に合わせ、野鳥があちこちでさえずり始めたことだそうです。そうした話を聞くとワクワクしてきます。
 以前、十勝毎日新聞に「無いものねだりではなく、あるもの探しをしよう」という記事が載っていました。津別町には、まだまだ知られていない不思議で楽しいことがいろいろあるような気がしています。

公共住宅建設と定住(平成23年6月)

 平成21年3月に「津別町住生活基本計画」を策定しました。この時点での公共住宅の数は、公営住宅322戸、特定公共賃貸住宅74戸、町有住宅52戸、職員住宅48戸、教員住宅28戸、寡婦住宅4戸、合わせて528戸でした。このうち公営住宅は65%が耐用年数を超え、5年後には80%になると予測されていました。
 このため「歩いて暮らせる木の住まいづくり」をテーマに将来計画を策定し、旧営林署跡地に公営住宅の建設を開始したところです。老朽化した建物は順次解体しますが、手を加えればまだまだ使えるものは改修し、将来の人口予測を考慮しながら全体戸数は減らす予定です。つまり、建て替えと改修により必要な数を確保し、快適な住環境をつくっていく計画です。
この4月から新築された公営住宅への入居が始まりましたが、入られた方に「どうですか」と聞いてみると「いやあ、いいわァ」と満足の様子でした。喜ばれるとやりがいを感じるものです。今年も引き続き旭町での住宅建設を続けますが、この他に、新町と西町に特定公共賃貸住宅を18戸建設する予定です。これは主に、北見市や美幌町などから津別町の職場に通う人や所得の関係から公営住宅に入居できない人たち向けの住宅であり、定住につながることを期待するものです。
 津別町の平成14年度から22年度の出生数は、40人、32人、38人、20人、28人、29人、31人、31人、35人となっています。今年度は、現在の母子手帳の発行数などからして、過去最低だった平成17年度の20人を下回るのではと予測しています。津別町内で働く人は、特別な事情がない限り、この町に住んで欲しいと願っています。とは言え、神頼みをする訳にはいきませんので、その願いが叶うよう住環境や子育て環境の整備を進め、住みよい町にしていきたいと考えています。

東日本大震災(平成23年5月)

 3月11日午後2時46分。役場で会議を行っていたとき、「あっ!地震だ。地震だ。長い。うわぁ!長いぞ」と職員が叫んだ。確かにこのような長い地震は記憶になく、恐怖感が増幅していきました。地震情報を確認するため町長室に戻り、テレビのスイッチを入れると、家や畑や農業用ハウスが次々と津波に飲み込まれていく様子が上空から映し出されていました。「こんなのありか」と職員がつぶやく。「ものすごい人が死んでしまうぞ!」とまた別の職員が叫ぶ。「おおっ!ああっ!」と言葉にならないうなり声を上げる職員…。その後の被災地の状況は、テレビや新聞で伝えられている通りです。
 3月9日から議会が開催され、休会中の出来事だったことから、再開された16日に、町内施設の被害状況の点検結果と町内企業や農家の流通上の影響などを報告し、翌17日には、町が備蓄している災害用品と町内で購入した物資を自衛隊美幌駐屯地に搬送すること、また町営住宅と仮設住宅建設用地を確保したこと、さらに町としての義援金については、予備費又は専決での対応をお願いしたところです。結果として、物資については100万円相当、義援金は200万円を送金し、受入についても特養のショートステイ分の一部を追加提供することとしました。
 今後、北海道緊急消防援助隊の一員として、津別消防署員も出隊する予定であり、加えて、関係機関の要請を受け、避難所等の被災者の健康管理にあたる保健師の派遣、り災証明書の発行や避難所の管理運営にあたる町職員合わせて5名の派遣を伝えたところです。いつどの市町村に派遣されるかは今のところ未定ですが、「北海道津別町」のワッペンを胸に、しっかり役に立ってきて欲しいと思います。
 明日は我が身かもしれません。助かるためにすべきことは何かを考えさせられる大惨事でした。

船橋のタイガーマスク(平成23年4月)

 ひと頃、毎日のように報道されていたタイガーマスクこと伊達直人。今では全くニュースに登場することもなく、一過性のブームは去ってしまったようです。ランドセルの寄付から始まり、あっという間に全国に広がった行為。孤児院で育った伊達直人がタイガーマスクとなり、恵まれない子どもたちにプレゼントを続けたことをヒントに始まったものだと思います。だとすると昭和43年から46年まで連載されたマンガなので、最初にランドセルを寄付した人は、おそらく年齢の高い人だったのではないでしょうか。
 足長おじさんは間違いなく存在します。津別町にとっての足長おじさんはと言えば、すぐに船橋ポートライオンズクラブが浮かんできます。昭和の後半から農村花嫁の話をきっかけに、これまで様々な協力をいただいてきました。今も続く子ども達を相互にホームステイさせる青少年交流。ジュニアオーケストラや中学野球選抜チームの遠征。上里や相生の学校を存続させようと派遣し続けてくれたふるさと留学。津別スキー場の存続を願い毎年冬になるとやってきたスキーツアー。船橋の神輿担ぎへの招待と津別の神輿担ぎに船橋の神輿会を派遣。ミニバスやソフトテニスの全国大会会場へ応援の動員。そしてこの2月には、3千人の聴衆を集めて開催された「ふなばし千人の音楽祭」に活汲小中学校リコーダーアンサンブルの子供達を招待してくれました。
 この中心に、いつも小石税さんという足長おじさんがいました。4年前に奥さんを亡くし、今年は娘さんに先立たれました。2月の音楽祭に招待された活汲の子供たちが、翌日、船橋駅前の市民ホールで津別町を知る人たち百人ほどを前にミニコンサートを開きました。その際、小石さんにお礼の意味を込め「千の風になって」を演奏したそうです。小石さんの涙が止まらなかったそうです。

美味しくなった学校給食(平成23年3月)

 私は6年生、副町長は5年生、教育長と学校教育課長は4年生のクラスに出向き、子供たちと一緒に給食を食べました。その日の献立はシーフードカレー、フルーツクリームチーズと牛乳一パック。「給食だより」で、えび・いか・ほたて・クリームチーズ・牛乳は骨・肉・血をつくり、人参・玉ねぎ・グリーンピース・みかん・パイン・ももは体の調子を整え、ごはんとジャガイモは体を動かすパワーになるとこの日のメニューを説明していました。我々の頃の給食はと言えば、脱脂粉乳ミルクとコッペパンがすぐに思い出されます。その頃に比べると味、栄養価とも格段に素晴らしくなりました。
 昨年4月に置戸町の学校給食メニューを紹介した『おうちで給食ごはん』という本が出版されました。全国食育都市「栄養士のこだわり部門」で一位に輝いた佐々木十美さんが作る給食です。この本には子供が喜ぶ三ツ星レシピとして63のメニューが載っています。一番人気はポークカレーだそうで、19種類のスパイスを使っているそうです。子供たちの給食を待つ顔が浮かんできます。
 さて、津別の子どもたちとカレーを食べながら「ところで週に一回出されるオーガニック牛乳と今日の牛乳はどっちが好きかな」と聞いてみると、やはり甘みがあって美味しいからとオーガニック牛乳に軍配が上がりました。こうした地産のものが子供たちに評価されることは嬉しいものです。この牛乳を世に送り出すために生産者の努力がおよそ10年も続きました。手をかけたものに対する子供たちの素直な反応だと思います。
 話は更に「津別にこんなものあったらいいなと思うものは」と聞いてみると、ゲオとデパートでした。先生の話によると旭川の修学旅行に出かけた子供たちの楽しみの一つは、イオンで買い物をすることだそうです。残念ですがこれは叶えられそうにありません。

酒坊日本盛と源と源(平成23年2月)

 東京駅八重洲口に直結する東京駅一番街ごちそうプラザ内に居酒屋「酒坊日本盛」があります。ここに勤めているのが元力士で四股名を江戸桜と呼ばれた中鉢健次くん。津別中学校で同じバスケットボール部(当時は篭球部などとも言った)に所属し、その後、北見北斗高校から相撲界へと進んだ変り種。引退後は日本盛に就職し、料理さんとして左党の口を楽しませています。力士時代に身についたようで自分のことを「わし」と呼び、異常な耳の膨らみは当時の激しい稽古の様子を物語っています。東京に行かれた際には、ぜひ寄って下さい。
 さて次は札幌です。ススキノの東急イン前の国道36号線を渡ると第4藤井ビルがあります。この2階に、もののふ(武士)の味「源(みなもと)」があります。ここは津別町出身の高橋弘章さんの店で、大阪などで腕を磨き、奥さんと息子さんの3人で経営するこじんまりした小料理屋です。高橋さんに、ここで人気のメニューはと聞くと、カウンターに座っていた常連さんから、「出し汁巻き玉子」と声がかかりました。息子さんが丁寧に作るこの一品料理は、特に若い女性に人気ということでした。確かにうまかった。それに生ビールがうまいと感じたので聞いてみると、毎日機械をきれいに掃除するとのこと。札幌に行かれた際には、ぜひ寄って下さい。
 次は北見市です。国道39号線から北見工業大学に向かう途中の右手にある炭焼豚丼「源(げん)」。鹿中町議会議長の息子さんの源太郎くんが経営する店で、豚丼一筋とPRするも坦々麺がうまいと言う人もいます。私はどちらもうまいと思います。北見に出かけた際には、ぜひ寄って下さい。
 このように津別町出身で飲食店を経営されている方は、きっとまだ他に沢山いるのではないでしょうか。情報がありましたら教えて下さい。

住民企画課

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