町長日記(令和8年)

更新日:2026年01月23日

サンマルコ食品株式会社 藤井会長叙勲受章(令和8年9月号)

8月3日、サンマルコ食品株式会社藤井幸一会長の旭日双光章受章祝賀会が札幌パークホテルで催され出席した。  サンマルコ食品津別工場は、恵庭工場とともに二大生産拠点として、平成24年12月に津別町活汲に新築オープンした。ここでは、グラタン、クリームコロッケ、春巻きを中心に生産し、ふるさと納税返礼品としても貢献していただいている。  もともとはこの地で冷凍食品の製造販売を行っていた株式会社日本冷食が、昭和56年にエバラ食品工業株式会社の子会社となり営業を続けていたが、平成18年にサンマルコ食品株式会社に全株を譲渡し、平成20年に合併して新たにサンマルコ食品株式会社津別工場として生まれかわった。  それまで活汲地区は、ネット環境はもとよりテレビ映りの悪い地域だった。本社から送られてくる画像をISDNで開くのに時間がかかり、かなりストレスがあったようだ。そのため老朽化した工場の建替えを津別町以外でも検討したいとの意向が示されていた。  当時300人ほど働いていた工場がなくなることは何としても避けたかった。そこでこれを機に、総務省の地域情報通信基盤整備推進事業を管内でもいち早く活用し、平成22年に町内全域に地デジとインターネット環境を整備した。その2年後、旧工場跡地に新工場が建設され今日に至っている。  祝賀会は大変華やいだ雰囲気の中進められた。発起人代表あいさつの後、藤井会長は北海道第5区選出の和田義明衆議院議員の後援会長でもあることから、和田議員を筆頭に、知事の代理、大学卒業後北海道ガス株式会社に勤務した職歴から社長の挨拶と続いた。  津別町の人口が減少する中で、津別工場の存続は欠かせない。ここで30人ほどの外国人が美幌町に住み働いているが、数名でも津別に住み替えて欲しいと願う。

津別町の食料自給率(令和8年8月号)

今年6月に、北海道町村会が、農林水産省のホームページで公開している「地域食料自給率計算シート」を活用し、独自に道内144町村の食料自給率を試算した。  食料自給率はカロリーベースと生産額ベースの2種類あるが、試算はカロリーベースのものである。現在公表されている日本全体の食料自給率は38%で、北海道に限っては213%である。さらにこれを市と町村に分類すると、市が70%、町村は916%になる。  では、道内の各町村ごとの自給率は一体どれくらいなのだろうか?試算結果からベスト5を見ると、1位は更別村で何と7343%、2位は小清水町の6205%で、以下3位清里町5690%、4位士幌町4546%、そして5位が大空町の4163%となっている。  津別町は2193%で、オホーツク管内の5番目である。道内の14振興局単位では、オホーツクがトップの1795%で、農業王国十勝をわずかに3%上回った。オホーツクは、林業・漁業とも産出額は道内トップであり、これに食料自給率を加えると、第一次産業の中心的役割を担っている。  食糧は自分の国ですべて賄えることが望ましい。今回の数値から北海道が日本の食をしっかり支えていることが良く分かる。しかし、一方で農村人口は減少の一途を辿っている。未来を想像すると不安が過ぎる。食料の生産基地である農村を守るには、当然のことながら、そこに人が暮らし続けていくための医療、介護、教育、買い物、子育て、公共交通などのインフラが整っていなければならない。安心して住めるマチであってこそ安心して営農ができ、日本全体の食を支えることができる。  もう一つ重要なのは、生産された農産物がきちんと輸送できる鉄路が守られていることである。JAによれば津別町の農産物の7割がJR貨物を利用している。

札幌駅12番ホーム(令和8年7月号)

今年も5月22日から6月2日にかけ、鉄道友の会の中村さん他2名が来町し、キャンプ場に展示している2両の寝台車の保存整備を行っていただいた。 この中の一人に神戸にお住いの飯野浩三さんがいる。飯野さんは那覇新一のペンネームでネット上で小説を書いている。昨年秋に津別町と寝台車をテーマにした短編小説を書かれた。題名は「幻の寝台車」。 夏の日、聡子という女性が北海道網走郡の小さな町にある父母の墓参りに神戸空港を出発するところから始まる。揺れる機内で母の夢を見ながら千歳空港に降り立つ。大雨のため女満別行きの便は欠航になったが、幸い鉄道は動いていた。札幌に向かう電車に揺られてまた寝てしまう。今度は高校時代に付き合っていた哲也が夢に現れる。二人が30歳になる前に哲也は交通事故で亡くなった。夢の中で哲也は言う。この分だと列車も止まる。母の命日に合わせて帰りたいのだろう。札幌に着いたら12番線に行けと言われ目が覚める。 因みに札幌駅には2番ホームから11番ホームしかない。1番ホームは令和4年10月に新幹線札幌駅延伸工事に伴い廃止になった。無いはずの12番ホームに行くと網走行き急行大雪5号が停車していた。この寝台車に乗った聡子はまた夢を見る。父母と哲也がこの列車に乗り込んでいて会話が弾む。 朝になり聡子はあたりを見回す。窓の外にはきれいな芝生と森が見えた。窓越しから老人にここに泊まられたのかと尋ねられる。ここはどこかと聞くと津別町のキャンプ場だと老人は答えた。哲也とお父さんとお母さんが、実家のあった町に連れてきてくれたのだと涙する。老人はつぶやいた。「そういえば昨夜、この客車がいなくなったって、誰かが言ってたなぁ」。 毎年自費で保存整備に来町される中村さん、野見山さん、飯野さんに感謝感謝。

津別町の人口動向(令和8年6月)

  津別町の住民記録において、令和7年度に初めて転入が転出を上回った。ただ死亡された方が多かったため、トータルとしては引き続き人口は減少した。   転入、転出、出生、死亡、回復、抹消の記録は、昭和37年4月以降残されている。この間に毎年度転出が転入を上回り、多い時にはその差200人を超えていた。それが平成7年度は転入が154人、転出が137人となり17人増加した。これは外国人と15才以下の転入者が増えたことによる。   私が町長になった平成18年12月から令和8年3月末までの人口の動きを見ると、全出生数は455人で、平成22年度の35人が最も多く、最低は令和3年度と令和6年度の9人だった。一方、死亡者数は1761人で、平成28年度の112人が最も多かった。   転入者数は2665人で、平成20年度の186人が最大であり、転出者は4203人で、同じく平成20年度の271人が最大だった。そこで(出生+転入)∸(死亡+転出)で計算すると、2544人減少し、平成18年度の182人が最大で、令和7年度の70人が最少となった。   また、津別町に34ある字ごとの人口と世帯数を平成19年3月末と令和8年3月末で比較すると、人口が2338人、世帯が551世帯減少している。減少数が最も多かったのは、豊永の418人81世帯で、老朽化した役場職員住宅の解体が主な要因である。人口の減少率では本岐の76%が最も高く、次いで高台が高栄団地の解体により66%減少した。一方、旭町の人口はわずか7人の減少で、まちなか団地の整備と個人住宅の新築により世帯は28世帯増加した。   人口減少に対し、津別町に限らず小規模自治体は様々な取組を進めているが限界も感じている。若者の首都圏への集中が続く中、地域間の争奪ではなく、抜本的な国による対策を強く望みたい。

シングルマザーが安心して住めるまち(令和8年5月)

昨年4月から職員が1年の3分の1ほど東京のEZOHUB TOKYOに滞在し、タウンプロモーションを行っている。ここでJAL日本航空の職員と繋がった。
JALは令和7年に、地域貢献に関心を持つ学生(ガク)と地域をつなげる(ツナ)「ガクツナプロジェクト」を開始した。これは学生がその地域に数週間滞在し、双方に変化と価値を生み出すことを目的としている。津別町はこのプロジェクトに参加した。
学生の応募は40名ほどあり、JALの職員による面接を経て6人の学生が選ばれ、3月1日から2週間津別町に滞在した。この間に様々な人たちと意見交換し現場にも足を運んだ。そして最終日に、キャビンアテンダントの女性が司会を務める成果発表会が行われた。
芝浦工大、中央大、東大生によるAチームからは、カラオケもなく服などもすぐに買えず、ネットでお金が流出していると現状分析し、お金の地域循環を図るためには、外出する理由が少ないため外に出る動機付けが必要。ハイヤーの営業を妨げない範囲でツベノリ(ライドシェア)を導入し、町民が稼ぎたいときに稼げる仕組づくりなどが提案された。
東海大、立教大、道教育大生によるBチームからは、クマヤキのバリエーションとして、スープカレーやハンバーグがAIを使って表現された。鹿による農業被害対策としては、「鹿柵づくり体験ツアー」が提案された。また自身の家庭環境を振り返り、「シングルマザーが安心して住めるまちに」という提案は特に心に残った。
学生たちにとって2週間はあっという間だったようだ。何かしら挑戦する町民との意見交換を通して、改めて自分の生き方を考えるよい機会にもなったという。そして、津別町は帰りたく思う町になったと感想を述べていた。

らぼっとに名前を(令和8年4月)

令和8年度予算でコミュニケーション支援ロボットの「LOVOT(らぼっと)」を1台購入する。「らぼっと」とはラブとロボットの造語らしい。
昨年網走信用金庫が創業100周年を迎え、津別町に100万円のご寄附を頂いた。これを単に基金に積立て、後で何に使ったのか分からないということでは申し訳ないと思いいろいろ考えた。
以前札幌のヨドバシカメラに寄ったことがある。エスカレーターで2階に上がるとすぐ横のコーナーで、愛くるしい目をした「らぼっと」が4台ほど動き回っていた。しばらく眺めた後、会社から派遣された説明員からお話を伺った。
カタログには「らぼっと」の特徴についてこう書かれている。「マルチセンサーホーン」「スムーズに移動、自動で充電」「リアルタイム意思決定エンジン」「10億通り以上の生きた瞳」「意志を感じる一期一会の鳴き声」「温かくてやわらかいボディ」。これらの機能を持つ世界最高水準の最新テクノロジーを有しているロボット。
役場の1階ロビーでこの「らぼっと」がチョロチョロ動き回り、来庁者に声をかける様子を思い描いてみた。また、あるときは図書館にいたり、あるときは高齢者のサロンにいたり、そんなシーンを想像してみた。
説明員から企業向けのパンフレットをもらった。本体の費用と購入後のバージョンアップ費用などで、ほぼ100万円になる。寄附金の使い道について網走信金津別支店長に伝え了解いただいた。
早速、町民の皆さんに名前を付けていただこうと思う。募集は町民限定にしたい。「らぼっと」は男性なのか女性なのかという声も聞こえてきそうだが、性別は特に問わない。採用者には気持ちばかりのお礼を用意したい。ほっこりする「らぼっと」に会いたくて、出かけて行く人が多くなればと思う。

第8回住民満足度調査(令和8年3月)

2期目がスタートした平成23年に、2年に一度の住民満足度調査を開始した。これは言わば町政の通信簿である。毎回ランダムに町民の方1000人を抽出し意見を頂いている。項目は過去に最大19項目あったが、整理統合し16項目で定点調査を続けている。
今回実施した調査は8回目になる。5期目の公約の一つに、「満足+やや満足」を16項目中半分程度70%以上にしたいと掲げた。残念ながら半分には届かず6つに終わった。ただ、最後の設問の「津別町全体の取組」が、それまで50~60%だったものが、今回70・4%になった。そして逆に、「不満+やや不満」が12・8%で過去最も低くなった。
行政が進めていることに対し、町民の方々はどのように受け止めているのかを客観的なデータで確かめたかった。それがこの調査のきっかけであり思いである。
今回も各設問の意見・提言欄には様々な記述があった。「幸せに暮らしているので満足」「小さい町は小さいなりにコツコツと進んでいくというか、これまで歩んできて本当に良かったと思います」「サツドラ誘致は活気が出たように思う」など肯定的な意見の一方で、「まちなか再生事業と公共施設の整備で住みやすい町になったが、その代償に借入金が100億円超になり将来が不安」という記述もあった。
確かに令和6年度末の借入金残高は104億円である。そこで、毎年春に全戸配布している『津別町のしごと』の最終ページ「オホーツク管内市町村との比較」をご覧になって頂きたい。「実質公債費比率(18%を超えると借入制限あり)」が、管内で最も低い5・6%である。これは毎年の返済金に対する国の財政措置が多くあるものを選んで借入しているからである。とは言え、昨今の金利上昇を加味すると、今後ともしっかりした財政運営を心掛けていかなければならない。
 

ふるさと納税1億円突破(令和8年2月)

1月5日仕事始めの朝、昨年4月に2名体制で新設した「ふるさと納税係」の係長が町長室にやって来た。「ふるさと納税額1億円突破しました!」と嬉しいニュースを届けに来たのである。
以前は、高価な食卓テーブルセットなどが人気で1億円を超えた年もあったが、総務省の基準見直しにより、以降1億円を超えることはなかった。最近の実績は、令和5年度が5,244件、8,910万9千円。
令和6年度は3,
729件、5,761万2千円となっていた。
町長5期目の公約の一つに「ふるさと納税1億円の突破を目安に、小中高の給食費を無償化する」を掲げた。2年が過ぎても達成できずにいたことから、昨年4月に役場内に新しく担当係を設置することにした。それまでまちづくり会社に業務委託していたが、頑張ってはいるものの、如何せん人員不足から十分な対応ができずにいた。
そこで、寄附受付後の業務はこれまで通りまちづくり会社にお願いし、それ以外の業務はふるさと納税係が行うこととした。
ふるさと納税の人気返礼品は、以前はアスパラが1番だったが、現在は玉ねぎに取って代わり、農業関係者の協力を得て取組を進めている。令和のコメ騒動もあり、昨年コメの予約はあっという間に一杯になった。一方、7月の高温少雨により、玉ねぎは小玉となり十分な確保ができず、途中でラインナップから降ろさざるを得なくなった。こうした主力返礼品の不調から、令和7年度も1億円の達成は困難かと思われていたが、職員は本当によく頑張ってくれた。
道内の自治体には、100億を超えるところも幾つかあるが、羨ましがってばかりはいられない。今後は、体験型の返礼品や事業者間のコラボによるもの、今回功を奏した新たな組み合わせなどを更に推し進め、次なる目標額に向かっていきたい。

エゾハブ初イベント(令和8年1月)

12月9日、東京天王洲アイルにあるサツドラホールディングスが運営するEZOHUB TOKYOで、津別町への移住を誘う初めてのイベントを開催した。
オープニングは、昨年相生鉄道公園と、キャンプ場に展示している寝台車両の視察を契機に交流が始まった渋谷東京都清瀬市長と私のクロストークから始まった。
会場一杯に60名ほどが参加され大盛会だった。参加者の多くは法人、起業家、マスコミの方たちで、このオフィスの運営を任されている元内閣府職員の笠井氏の人脈によるところが大きい。津別町は令和7年4月からここに1年の約3分の1ほど職員を滞在させている。この職員を通じて東京を拠点にタウンプロモーション活動を行っている。
第2部に入る前に、森のこだま上野真司代表がガイド業を通じた津別町の魅力を語った。第2部はゲストハウスを経営する都丸雅子さんと、コロナ禍を機に農作業で津別町と関り、その後町内に家を購入して東京と二地域居住する吉澤岳人さんがお気に入りの津別の魅力を大いに語った。
第3部はJALが首都圏の大学生と地域を繋ぐ取組を開始し、これに津別町も参加したことから、その内容についてJALの担当者から説明が行われた。
そして第4部は、津別町のクマヤキサブレと津別珈琲を味わいながら交流タイムである。多くの参加者の方々と名刺交換する中で思ったことは、この方たち全部と繋がると職員の業務は大変なことになると少し心配になった。
話の中で「死んだンゴ」でテレビにも取り上げられた中山君のことも話題になった。「あの津別町ですかぁ」と言われた。このイベントの今後がどのような展開になるのか、まだ予測はできないが多くの人に津別町を知ってもらうきっかけに間違いなくなったと思う。

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